1. 能登半島の地形・地質の概要と過去の被害地震

(1). 能登半島の地形・地質

 能登半島には、およそ2億年〜2億4000万年前にユーラシア大陸の東縁部に発達した深成岩類を基盤とし、主に新第三紀に形成された火山岩類および堆積岩類が広く分布している(図1.1.1)。基盤をなす深成岩類である飛騨花崗岩類は、富来、石動山、および宝達山地域に散在的に露出するのみであるが、同じく飛騨帯に区分される岩石は宇奈月、立山、および白川などの周辺に広く分布する(図1.1.1)。新第三紀の火成活動は約2500万年〜1500万年前の日本海の形成に関連した地殻の伸張に伴うものと考えられており、1700〜2000万年前の中新世初期に形成された安山岩類や、一部は漸新世後期に形成されたと考えられる粗粒な堆積岩などが広く分布している。この火成活動に引き続き、能登半島沿岸部は徐々に沈降すると同時に海域が拡大したことにより、主に能登半島北西部に浅海性の堆積岩類が形成された(図1.1.1)。日本海の拡大が停止した後のおよそ1400万年前には、熱帯性の化石を産出する石灰質砂岩が関野鼻、輪島崎七尾などの周辺に堆積した。能登半島の北部には鮮新世および更新世の地層は分布しないが、半島中部から加賀地方にかけては大桑層に代表されるような砂岩ないし泥岩層が分布する(図1.1.1)。

図1.1.1.  能登半島の地質図(産業技術総合研究所地質調査総合センター(2005)に基づく。図はクリックして拡大)。

図1.1.2. 能登半島の地形と活断層分布(実線)。破線は能登半島の地塊境界(太田・平川, 1979)を示す。

 今回の地震で最も被害が大きかった石川県輪島市付近の地質は、新生代第三紀漸新世~中新世の火山岩と堆積岩よりなる(図1.1.1)。火山岩は北から南(下位から上位)へ高洲山(こうのすやま)層(漸新世、約28 Ma、Maは100万年前を示す単位)、神和(かみわ)(ずみ)層(中新世前期、約20 Ma)、別所岳層(中新世前期、約17 Ma)などに区分され((かせ)(), 1993; 吉川ほか,2002)、安山岩の溶岩や火砕岩を主とするが一部に流紋岩質溶結凝灰岩や玄武岩溶岩を含む。門前町中心部周辺から北海岸にかけては中新世前期の(なわ)(また)層(広義)の堆積岩(砂岩、泥岩、礫岩など)が分布する。これらの地層には北東-南西方向の断層や褶曲軸が発達するが、縄又層の堆積と変形にはこれらと直交する北西-南東方向の断層も影響している(小林ほか, 2005)。また、震央に近いヤセの断崖付近には中新世中期(約12 Ma)の関野鼻石灰質砂岩層とそれに貫入(一部被覆)する黒崎安山岩類(約9 Ma、能登で最も新しい火山岩)が存在する。能登半島北部の海底には火山岩類からなると考えられている水深200mより浅い台地状の高まりが幅50km以上にわたって広がり、日本海の形成時期にはその中にも小規模な東西から東北東—西南西方向にのびた凹地(リフト)が、能登半島北縁部および舳倉島付近を中心として形成された(岡村、2007)。後期中新世の1000〜1500万年前には南北圧縮応力場になり、西南日本の日本海側沿岸に沿って、東—西から東北東—西南西方向の逆断層と褶曲地形が形成され始め、後期鮮新世から完新世には日本列島全体で東西圧縮応力場となり、 能登半島周辺でも南北から北東—南西方向の逆断層や褶曲構造が発達した(岡村, 2007)。

  能登半島の北西部は丘陵ないし丘陵状の山地であるのに対して、東部・南部の大部分は海成段丘からなる(町田ほか, 2006)。旧汀線高度の測定から能登半島は5つの山地(眉丈山地、桑塚山地、猿山山地、鉢伏山地、宝立山地)と邑知低地帯(邑知平野)に区分でき(図1.1.2)、それらの境界は現在の山地境界にほぼ対応している(太田・平川, 1979)。各地塊内でも南下がりの傾向が著しく、その傾向に累積性があることから、第四紀において各傾動地塊の成長が続いていたと考えられている(片川ほか, 2005)。山地の配列は能登半島の北半部では北東—南西方向を示し、能登半島の主要な地形の方向を表す。能登半島南部では山地の配列は北北西—南南東ないし北—南方向になる。能登半島の活断層やリニアメントの走向は上記の方向に一致する(太田・ほか,1976)(図1.1.2)。

 能登半島周辺の海域においても活断層の存在が報告されている(図1.1.2)。片川ほか(2005)は能登半島地震の余震が広がる能登半島西方海域における探査結果を報告している。それによると、能登半島西方海域では北東から南西方向断層雁行配列する構造2列見られ南側南西側には同方向褶曲見られるこれら断層南東側隆起高角逆断層であり、隆起地層南東側傾動し、この海域には地質構造的に陸域の傾動地塊山地に対応する2列の傾動地塊(A列傾動地塊(A1とA2)とB列傾動地塊)が存在する。傾動地塊はその北西縁を北東—南西方向の断層群に区画されており、それぞれ長さ10km程度である。A列傾動地塊山地地塊一部を除いて、B1層(更新世後期)堆積以降変位・変形なく第四紀後期以降静穏状態あると考えられている(片川,2007)。それに対して、B傾動地塊山地F16地塊、F14・15地塊第四紀以降活動的ある2層(更新世中期)上面の不連続分布これら独立的活動してきたことをしている(片川,2007)。4章で述べるように、このF14・F15断層が能登半島地震の震源断層に対応すると考えられている。

(2). 能登の被害地震

図1.2.1. 能登半島周辺の被害地震。

 「まさか、能登で地震が起こるとは思わなかった」という声が地震直後に多く聞かれた。しかし、能登地方でも被害地震が発生していることは歴史記録上に残されている。「最新版 日本被害地震総覧 [416]-2001」(宇佐美, 2003)によると、記録上最も古くかつ規模の大きな地震は1729年8月1日の地震(M6.6〜7.0)であり(図1.2.1)、珠洲郡、鳳至郡で5人の死者の他、多くの家屋の倒壊や山崩れがあった。その他にも死者が出た地震としては、1892年の富来沖の地震(M6.4、M6.3)1933年の七尾の地震(M6.0)がある。なお、1993年の七尾の地震より古い時代の地震については、被害分布等から震央位置や地震規模が推定されているのみであり、その推定位置や規模に不確実性があることに注意を要する。最近では、珠洲市の沖合で1993年に能登半島沖地震(M6.6)が発生し、石川、富山、新潟の3県で被害が報告されている。石川県内では、珠洲市を中心に負傷者29 人、住宅全壊1棟、半壊20棟、一部破損4棟などの被害が生じ、液状化も生じている。また、輪島で26cmの津波が観測された。上記の地震以外にも、海岸線が長い能登半島では1833年の羽前・羽後・越後の地震のように遠い海域で起こった地震による津波により100人にのぼる死者を出したこともあり、1983年の日本海中部地震の際にも2mを超える高さの津波が輪島で観測されている。このように、能登地方では過去100年でM6程度の地震が6回発生しており、被害地震という観点で見れば必ずしも地震活動が低い地域であるとは言えないことが分かる(図1.2.1)。