2. 地質と地震被害及び地表断層調査

(1). 地質と斜面崩壊・住宅被害などとの関係

 3月26日のヘリコプターからの観察によると、今回の地震で最も大規模な天然の海岸斜面の崩壊が起きたのは関野鼻であり、ここの断崖は脆弱な石灰質砂岩でできている。輪島市街北方の輪島崎でも海岸斜面が崩壊し車が1台巻き込まれたが、ここにも同じ時代(約12 Ma)の石灰質砂岩(輪島崎層)が狭く露出する。深見集落が孤立する原因となった深見南方の海岸斜面の崩壊は縄又層(詳しくはその上部の番場山層:小林ほか, 2005)で発生した。今回の強震地域は全域で地すべり地形が発達しているが、中越地震の場合と異なり、大規模な地すべりは発生しなかった。これは、旧山古志村などの中越地震による地すべり多発地域が鮮新世(5~1.7 Ma)以後の固結度の低い堆積岩でできていることが一つの理由であろう。また、今回の地震で輪島市門前町の中心部から西海岸に至る地域の住宅などが最も大きな被害を受けたが、この地域は他の住宅被害があった輪島、穴水、富来などの市街地と同様に、軟弱な完新世(0.01 Ma~現在)の沖積層が堆積している谷底平野ないし海岸平野であり、門前では液状化も発生した。震源から30 km以上離れた七尾や氷見でも液状化が発生したが、大部分は埋立地に限られる(大久保, 2007)。

(2). 地震による地表断層及び墓石倒壊率の調査

図2.2.1. 墓石倒壊率分布(図はクリックして拡大)。

 3月27日に輪島市門前町中野屋において、谷底平野の水田の間を南北に通る県道を北60°東方向の割れ目が横切り、それに沿って道路が8 cm右にずれていることを確認した。道路の西側の水田では割れ目の延長上に雁行地割れが生じ、稲の切り株の列が右へ約10 cmずれていた。更にその西の延長上では川の護岸のコンクリートの破壊も見られた。中野屋は予想される震源断層の延長上にあり、割れ目の方向も右ずれセンスも断層モデルと矛盾なかったので、今回の地震を生じた断層の一部が地表に現われたものと判断した。同様の4~5 cm程度の右ずれは南西延長の門前町安代原や海岸沿いの鹿磯でも見られた。その後4月14日に山形大学の川辺孝幸教授と金沢大学の調査グループが合同で地権者の了解を得て中野屋の水田の発掘調査を行い、この割れ目が、基盤の縄又層の泥岩とそれを覆う古い地すべり地塊との間の、南東へ30°傾斜する境界面上にあり、この面にはほぼ水平方向の条線が発達していることがわかった。これが地下の断層の動きを反映した地表のずれであるのか、単に基盤岩と地すべり地塊が震動により差別的に運動した結果であるのかは、まだはっきりしない。

能登半島の羽咋・七尾から穴水・志賀・富来・門前・輪島を経て柳田・宇出津に至る地域で、3月27・28日に35箇所の墓地で墓石の倒壊率調査を行った(図2.2.1)。1墓地当たり数10~数100の墓石について、上部の標石が倒れ(落下し)ているものと倒れていないもの(ずれ動いたものを含む)を数えた。1000基以上の規模の墓地では一部の区画のみを数えた。50%以上の倒壊率を示す墓地は富来から門前を経て皆月に至る西海岸沿いに集中しており、特に倒壊率100%の笹波や80%以上の門前の墓地では、標石だけでなく基礎部分(遺骨収納部)も破壊されている墓が多かった。一方、この地域から離れた輪島や穴水では、全壊・半壊家屋や負傷者(輪島では死者1名)があったにもかかわらず、墓石の転倒率は低く、短周期の揺れが比較的小さかったことを示す。羽咋・七尾・穴水・柳田では転倒率0%の墓地もかなりあった。ただし、七尾市街西部の小島町付近の丘陵地にある山の寺寺院群では倒壊率が50%を越える墓地が多数あったことが野村(2007)によって報告された。このように震源から離れているにもかかわらず地震の揺れが強くなる「異常震域」の存在は中越地震などでも報告されている。