ちょっと大きい声じゃ言えないトラブルもありました。

やはり大勢でなれない国でうろうろすると,面白いアクシデントやトラブルもありましたとも。

 
   

その1)虫歯の治療と変わる顔相

その2) 採水機故障:深夜の作業

その3)激突
ペチャハナ湾に寄港した時のこと,なぜそんなことになったのか,我がベルシャーギ号が桟橋に激突。大勢の人の見守る中,なす術もなく破壊活動に身を投じたのでした。しかしさすがここはロシア。船の中からおもむろに木をもち出し,手際良く修理して行ったのでした。木をちゃんと積んでいるってことは,これはよくあることなのか??(by NH)

なす術もなく桟橋に激突するベルシャーギ号。みんな容赦なくぶざまな姿を写真に納めている。 無惨にも桟橋を破壊してしまった。 でも船乗りは大工仕事も得意なのか,ちゃっちゃと修理してしまった。



その4)荒れるバイカル

その5)救急車で病院へ

それは全てを終えて,後はお土産買って晩ご飯食べて空港に向かうだけとなった夕方のこと。突然の下痢と嘔吐に見舞われた。どうもお昼に食べた何かにあたったようである。トイレから離れらないため,楽しげにマーケットに向かった面々と離れて一人,荷物番よろしく研究所に残ることとした。しかし足しげくトイレに通いその度に衰弱していく私を見て,心配した研究所の人が救急車を呼んでしまった。確かにこれから飛行機に乗るというのに,こんな状態では心もとないと思い,大人しく厚意に甘えることとした。
ところが連れられて行った病院と来たら....。いったいあれは病院だったのか?建物には全く病院であると言うことを感じさせるサインはなかった。入ってみると,病院と言うよりは牢獄の医務室(といっても実物を知っているわけではないが)。狭い診察室の片隅にトイレがあり,そのトイレには紙もなくなぜか鍋が山積み。その鍋の中に何が入っていたのか,いつもなら必ず確認せずにはいれらない私も,衰弱のためその元気も無し。診察室から処置室まで,荒れた石ころだらけの庭(?)を通り抜け石造りのビルの暗い階段を3階まであがって鉄のドアをたたけば,看守のような女性ががちゃりと鍵を開け招き入れてくれる。正直,シベリア抑留を覚悟した瞬間である。野戦病院のベットのようなもの(これも実物を知っているわけではないが)に寝かせられ生まれて初めての点滴。もう一つあるベットにも誰かがぐったりしているようである。その後朦朧としてしまい記憶は定かでないが,ナジャさんの娘さんがずっと付ききりでついていてくれたおかげでなんとか空港にまでたどり着き,帰国の途につくことができた。結局,出すもの出したせいか,処置が的確だったのか,飛行機に乗っている間にすっかり回復とあいなった。残念なのは貴重な体験だったのに写真に残せなかったこと。ところでロシアでは治療費を請求されないとのこと。やはり大国なのか。お世話になったみなさん,本当にご迷惑をおかけしました (by NH)。


その6) 帰国の危機

具合が悪くなって一人別行動を取っていた私が 空港でぐったり他のメンバーを待っていると,やっとのことで連中が乗ったバスが到着したらしい。みんな最後のお食事会でいっぱいおいしいものを食べてきたはずである。うらやましい。
あれ?どうも私以外にもぐったりしている人がいる。人というより物?状況から推察するにどうやら最後の食事会で飲んだお酒が回って起きていられないようである。これでは飛行機に載せてもらえないと,マリーナさんがあの手この手で叩き起こしているが全く効き目がない。これで私ともども,具合が悪いもの同士で置いてけぼりか?いや今体力を失いきった私では面倒を見るのもままならない。ここはやはり河合先生に頼むしかない。というわけで,私が全員分を預かっていたその夜のホテルの領収書を河合さんに託し,ホテルに戻ってねと暗に主張。しかし結局マリーナさんの粘りで手荷物として(?)飛行機に乗り込ませることに成功し,全員そろって帰国できたのだった。やれやれ。(by NH)

その7)試料没収

その8) 台風の待つ金沢へ



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