COV5に出席

2007年11月18日−23日
火山都市国際会議島原大会(Cities on Volcanoes 5 in Shimabara)に出席しました。稲垣有香さんが発表しました。四年生で国際会議で発表するのは(ポスターとはいえ),長谷部研始まって以来の快挙です。話を聞きにきて興味を示してくれた人も何人かいたし、かついろいろな勉強もでき有意義でした。子ども達を含めた市民との交流や彼らからのサポートが充実した独特な会議でした。

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町のあちこちに立て看板や垂れ幕が飾られ町を挙げての歓迎ムードでした。
会場の入り口には雲仙火山を模した花飾りが。
受け付けの様子。
学会バックには思いがけないものも。ちなみにこの龍の色紙は稲垣がもらったもの。長谷部のバッグには「愛」の色紙が。愛?愛って何だ?龍もアレですけど。
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受け付けの後のice breaker でさえ,ゴージャスに子ども狂言の出し物が。
開会式の時には幼稚園児?が駆けつけて旗を振って歓迎してくれました。気分は皇太子。
我々のポスター発表にも興味を示してもらえました。
休憩時間にはここぞとばかりにデータについての議論を進めました!?
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ランチは会場内にビュッフェを設営してくれました。
オリジナルのガンバーガー。これについての詳細は長谷部のブログでも紹介してます。
会期中ずっと天気がよく。雲仙の頂上(平成新山)や火砕流後がきれいに見えていました。
会期内に巡検があり3グループに分かれて(それぞれ四台のバスからなる)災害の後を見て回りました。私たちのグループは宇井先生と清水先生が一緒で充実した説明をもらいました。
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火砕流の露頭では時間(日にち)を追って堆積物が確認できました。これを見ると火山性の堆積物はあっという間にたまり,古い地層を年代測定をして逆転が生じることもあって当たり前だと思います。
平成新山の危うい斜面を見ると眉山の崩れのような災害(島原大変阿蘇迷惑)が近いうちに生じるであろうと考えさせられます。火山が姿を変えるのは自然の理です。
ところで仁田峠で面白いものを見つけました。右下のメダルの刻印例に注目。やっぱり「ヤマダヒロシ」ってそういう感じ?
巡検の後は中学校に向かい,一緒に被災者に対する献花を行いました。
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中学生の学習成果や合唱を聴かせてもらいました。
お出迎え&お見送りをしてくれました。準備が大変だったと思います。
巡検のランチ。いったい誰がこんなに巨大なサンドイッチパックを平らげるんだと文句を言っていたら,となりの某四年生女子はしっかりパックを空にしてました.....。
巡検の後は島原市長主催で行われて島原城でのいろいろな催しを見物しました。
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さらに最終日には懇親会が用意され,ごちそうでした。
なんと島原市長と火山学の権威・北海道大学名誉教授の岡田先生とスリーショットです!!!
学会を運営された皆様に感謝を込めて最後に胴上げ。
余談ですが,学会会場近くのホテルは満杯で,我々は山奥のホテルから毎日30分以上かけて車で通ってました。というわけでノンアルコールの一週間でした。
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ホテルの近辺には大学の名前の入ったのぼりが。どうやら各大学が協力して温泉を核とした町おこしをしている模様。金沢大学ものぼりをつくってあちこちに飾りましょうよ!
ホテル近くの雲仙地獄。島原半島各地の温泉の水質は系統的に説明されていて勉強には持ってこいです。私たちは緊縮財政で安宿に泊まったので温泉無しの一週間でした。こんなのアリ?
余談1・遺跡好き(廃虚好きもその延長)の私としてはドルメンを逃すわけにはいきません。遺跡の年代決定で研究費を申請中なので。せっかく車もあったしね。
余談2・島原の乱の現場,原城にも足を延ばしました。
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帰りの飛行機まで時間があったので,福岡でヤフードームを見に行きました。
あこがれの今井通子の手形と握手。


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