宮崎・島原サンプリング紀行

2007年5月28日−6月2日
孔明の修士論文&稲垣さんの卒業論文のための試料採集に九州に行きました。5月28日(月)に金沢を発ち,大阪発のフェリーで宮崎に渡り四万十帯の砂岩の採集をしました。その後熊本で一泊した後,フェリーで島原へ渡り,雲仙火山の試料採集をし,6月2日(土)に金沢に戻りました。昨年度来の望みだったので,やっと雲仙のに入ることができて感無量です。天気にも恵まれ,充実した野外調査でした。しかしそのために払った代償(恐怖の平成新山・防災登山&全身の筋肉痛)は高く,しばらく長谷部は挙動不審になりそうです。同行してくれた柏谷研の岩上君はとても献身的に仕事を手伝ってくれて助かりました。4年生は研究室に配属されてからはじめてのフィールドだったので大変だったと思いますが,いろいろ目を配ってくれました。

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大阪からフェリーに乗りました。
きれいな夕焼けでした。
今回の参加者。フェリーの寝台にて。試料採集する2人に加えてハンマー君&石運び(通称・すれいぶ)として岩上君にも来てもらいました。
南国宮崎に到着のはずですがあいにくの曇天
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そして孔明のサンプリングは雨の中
露頭を求めてあがった林道の先でお弁当スポット
収穫物
宮崎から熊本へ抜ける途中。通潤橋へ寄りました。その夜のテレビ番組で,日本3大橋の第三位にランクインしていて,無理して寄った甲斐があったと大興奮。
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橋の上は歩けるようになていて中央の穴から放水するらしいです。
だからそこは人間の通り道でなくって....。
通潤橋のおかげでしょうか,周りは緑したたる美しい田園風景。
その夜は熊本城が見えるところでお泊まり。ライトアップしていました(あまりきれいに写りませんでしたが)。熊本が大都会だったのに驚きました。
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熊本から島原へはフェリーで渡りました。修学旅行シーズンで,女子中学生と一緒の乗船でした。
最初の試料採集点は千本木地域。科学掘削サイトの近くです。砂防ダムがこれでもかと造られていました。
どんなところで試料をとろうか考えながら彷徨。
災害で破壊され埋もれてしまった家屋?の残骸
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眉山に試料を求めて登っていくと怪しいテントが。
眉山麓にはいろいろな砂防ダムの工法の紹介が。
島原湾を臨めば「島原大変肥後迷惑」の時のものでしょうか?海に到達した土石流でできたとおぼしき島影が。
島原では宿がどこもいっぱいで結局天皇家御用達のハイグレード?ホテルに泊まりました。
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不思議な茶色の塔はチョコフォンデュ(ファウンテンと名付けてました)でした。興味津々で見てたら特別に試食していいですよというわけでトライ。
今日はいよいよ防災登山の日。朝からカレーを食べて元気いっぱいの若者。

ロープウェイ乗り場まで車で上り,いよいよ登山準備。

地球学科のヘルメットは必須です。
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重さで課金するなら体重の軽い小柄な人には割引料金が適応されてもいいと思う。
まずはいけるとこまで文明の利器で。
普賢岳の頂上までは登山道が整備されており,まあなんとか大丈夫な道のりでした。余裕で記念撮影。
金大ヘルメットは人目を引き,なんではるばる金沢から来たんだとインタビューを受ける孔明。
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さていよいよ目的の平成新山へ。まず手前を薮こぎで抜けてそのあと,ガレ山を登るらしいです....
立ち入り禁止の警戒区域なので何カ所かに張ったロープをくぐり抜けていきます。
木々にあちこちとっ捕まりながら前進。
参加者の長い列。
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いよいよガレ場をのぼります。自分が二足歩行の動物であることを忘れる苦行でした。

けっこうあがってきました。不安定な足場の,あまりの恐怖に長谷部は何度もリタイアを決意しますが,その度孔明にもう少し落石の心配のないところまで移動した方がいいと諭され結局登りきることに....。

 

防災登山には研究者だけでなく,行政,報道陣,自衛隊員など,総勢80名近くの参加者がいました。自衛隊員には金大卒業?生もいて,お互いびっくり。
まずは昼ご飯を食べこの後獲物をゲットです。
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まだ噴煙があたっております。九大の方々は観測に大忙しです。
もう少しクリアなら阿蘇も見えただろうに...。
なんでこんなとこにそんなもの持ってきてるわけ?
11月に開催される国際会議の巡検下見もかねておられたそうです。
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恐怖の下山。やっぱりリタイアしておくべきだった...

なんとか滑落しないで済みました。
元気なのはthe youngestだけ...
というわけで?駐車場に戻ってきてから登山の感想を聞かれてました。
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4人とも無事戻れてよかった。しかし次の日から続く筋肉痛には泣きました。
島原には災害に関連した施設がたくさんあり啓蒙活動に力が入れられておりました。「ネイチャーランド」。
ここ「みずなし本陣道の駅」では土石流で埋没した家屋が保存されてました。
家の中まで埋められてます。だから壊れないで残ったともいえるのかな。
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「砂防未来館」では被災した小学校跡地も保存されていました。
九大の観測所のゼミにお邪魔しました。木陰に横たわるかわいこちゃんたち。やっぱり九州は暑いよなぁと思ったりして(十把一絡げ?)。しかしここで飼ってるのかな?
余談ですが酒屋では樽で焼酎が測り買いできました。
ゼミの後すたこらさっさと門司に移動し,なんとかフェリーに間に合いました。大阪からは、全身の筋肉痛をいたわりながらゆっくり金沢へ。琵琶湖を臨む道の駅でアイスじゃんけんをして,当然?負けたのは長谷部でした...。


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