日本海及びその周辺域の岩石

 平成13(2001)年3月26日に富山県政策環境部 国際・日本海政策課から発行された「日本海学研究叢書(そうしょ)」の一つである石渡明・辻森樹著,「日本海及びその周辺域の岩石」の全文を以下に掲げます.この叢書は一般の書店では販売されておらず,富山県による配布も既に終了していて,一般の人が手に入れることは困難になったので,平成14年12月に,このホームページへの掲載許可を富山県日本海政策課にお願いしたところ,平成15年1月10日付けで富山県知事中沖豊氏より,条件付きで許可する旨の通知をいただきました.まず,掲載条件となっている「日本海学研究叢書 刊行のことば」を掲げます.

[日本海学研究叢書 刊行のことば] [日本海学叢書一覧] [日本海及びその周辺域の岩石 目次]

[伝言板] [石渡ページ] [石渡研究室ページ] [地球学科ページ]


日本海学研究叢書 刊行のことば  [もどる]

 富山県では,平成11年より,環日本海地域全体を,日本海を共有する一つのまとまりのある圏域としてとらえ,日本海に視座をおいて,過去・現在・未来にわたる環日本海地域の人間と自然のかかわり,地域間の人間と人間とのかかわりを,統合学として学際的に研究する「日本海学」を推進しています.

 本研究叢書の刊行により,環日本海地域の自然,文化,社会の理解が深まり,21世紀の展望が明らかになるならば,これに過ぎる喜びはありません.

平成13年3月 富山県日本海政策課

富山県日本海学推進機構ホームページ


日本海学研究叢書一覧
(もともと順番がないので,ここでは文科系,理科系の順,各系内は著者の50音順に掲げます)[もどる]

【文科系】
1.日本海沿岸地域における民俗文化.天野武(帝京大学文学部教授)
2.環日本海文化を北方民族学からみる.大塚和義(国立民俗学博物館教授)
3.海域世界の中の日本海沿岸地域.高橋公明(名古屋大学大学院国際開発研究科教授)
4.船から見た日本海文化―海船・ドブネの技術展開から―.出口晶子(関西外国語大学国際言語学部助教授)
5.近世中後期,加越能廻船と日本海地域の海運―越中の小廻船に注目して―.深井甚三(富山大学教育学部教授)
6.縄文時代の生産と交流―翡翠とその文化―.藤田富士夫(富山市埋蔵文化財センター所長)

【理科系】
7.日本海及びその周辺域の岩石.石渡明(金沢大学理学部助教授)・辻森樹(岡山理科大学自然科学研究所研究員)
8.環日本海地域の植生と気候温暖化の影響.小島覚(東京女子大学文理学部教授)
9.日本海の成立とその環境変遷.多田隆治(東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学科教授)
10.雪と人間.対馬勝年(富山大学理学部教授)
11.日本海と日本.丸山茂徳(東京工業大学大学院地球惑星科学科教授)


平成11年度「日本海学」研究調査 [文頭にもどる]

日本海及びその周辺域の岩石


金沢大学理学部地球学科 石渡 明・辻森 樹*
(*現所属:岡山理科大学自然科学研究所)

目次

1.はじめに (図1

2.沿海州南部の古生代変成岩・オフィオライトと地体構造上の諸問題
  (1) 沿海州と日本の地質の連続性とオフィオライト (図2
  (2) 沿海州の地質 (図3
  (3) 日本のオフィオライトの年代論 (図4
  (4) 沿海州のオフィオライト (図5) (図6
  (5) 日本の古生代高圧変成岩 (図7
  (6) ロシア沿海州の古生代高圧変成岩 (図8

3.西南日本・ロシア沿海州と中国大陸及び朝鮮半島との関係
  (1) 朝鮮半島は中朝・揚子どちらの地塊に属するか (図9
  (2) 朝鮮半島の臨津江帯は蘇魯超高圧変成帯の延長か
  (3) 日本とロシア沿海州の高圧変成帯
  (4) 蘇魯超高圧変成帯の延長は朝鮮半島を迂回して日本へ (図11
  (5) 超高圧変成帯と入り組んだプレート境界との関係 (図12

4.白亜紀〜古第三紀大陸縁における花崗岩質マグマ活動について

5.日本海拡大直前に活動した月長石流紋岩
  (1) 月長石流紋岩とは
  (2) 北陸地方の月長石流紋岩 (図13
  (3) 月長石の化学組成
  (4) 北朝鮮の月長石流紋岩 (図14
  (5) 月長石流紋岩の化学組成
  (6) 月長石流紋岩の同位体年代
  (7) 月長石流紋岩のまとめ

6.日本海拡大中〜拡大後に活動したグリーンタフとその他の火山岩
  (1) 北陸地方のグリーンタフ
  (2) 日本のグリーンタフのもとになったマントル物質の時間変化
  (3) 沿海州北部の「グリーンタフ」
  (4) マントル捕獲岩を含むアルカリ玄武岩
  (5) 日本と沿海州の中・新生代マグマ活動のまとめ

7.全体のまとめ

文献 (文献の補遺



1.はじめに [もどる]

 今から半世紀前,小林[30] ( [ ] 内の番号は文末の文献リストに対応) は,「褶曲と漂移による日本列島の長距離移動の仮定を証明するには未だ時日を要するが,これは他の解釈では不可解な多くの特殊現象を了解することのできる最も合理的な解釈の一つである(p.219)」と述べ,日本列島とロシア沿海州の古生代後期〜三畳紀における地質学的類似を根拠として,日本列島が大陸から分かれて移動し,その間に日本海ができたことを示唆した.日本海のような縁海の成因については,その当時から「海洋化説」,「削剥沈降説」,「大洋遺物説」,「裂開漂移説」など諸説があったが[26],日本と沿海州の地質の類似性はジュラ紀付加体においても一層顕著になり[33, 45],海底掘削による日本海海底堆積物の層序とその中の玄武岩の年代データ(約25 Ma [24,25,38](「Ma」は100万年前を表す時間の単位))が得られた現在,プレートテクトニクスの局地版とも言える「裂開漂移説」または「日本海拡大説」は多くの地質及び地球物理の研究者に受け入れられている[4, 65, 77].ただし,拡大の原因やメカニズムについてはまだ諸説紛紛で,決着には程遠い[66].小論では,日本海及びその周辺地域の岩石,特にこれまで類似性があまり議論されていない古生代のオフィオライト岩類や高圧変成岩についての調査結果を報告し,これら日本海拡大以前の古い岩石をもとに日本列島と大陸地域の地質学的つながりについて議論するとともに,日本海を形成したリフト帯マグマ活動およびその後の島弧マグマ活動などについても検討する.

図1.A.西南日本からロシア沿海州への古生代・中生代の地質のつながり.特に古生代オフィオライト帯とジュラ紀付加体の連続性が著しい.B.本文で論述される環日本海地域の主な火成岩・変成岩の形成時代を地質時代表に示す.(拡大図)


2.沿海州南部の古生代変成岩・オフィオライトと地体構造上の諸問題 [もどる]

(1)沿海州と日本の地質の連続性とオフィオライト 
 小林[30]は,「ソ・満・朝鮮の国境付近は日本式層序の大陸に取り残されたところで,特に重要である.(中略)多分舞鶴帯の海峡を通じて内侵したと思われるスキティック・アニシック(三畳紀)の海はウラジオストックの近くに達している(p. 315)」と述べ,中沢[48]も,「舞鶴帯三畳系の堆積盆がウスリー(沿海州)地域に続くとの考えは,岩相と産出化石からみて合理的だ」と述べた.舞鶴帯の三畳紀の地層は夜久野オフィオライトを不整合に覆って堆積している[16,48].オフィオライトとは,かんらん岩・斑れい岩・玄武岩がこの順に下から上へ重なった層状火成岩体で,過去の海洋性地殻(玄武岩・斑れい岩)・マントル(かんらん岩)の断片とされ,造山運動によって海洋プレートの断面が地表に露出したものと考えられている.西南日本では,オフィオライトが二畳紀やジュラ紀の付加体の上に衝上しており,付加体が形成されたプレート沈み込み帯の上盤側の,島弧縁海系の地殻・マントル断片と考えられる[16,19].前述のように,三畳紀の地層やジュラ紀付加体の連続性は既に議論されているが,ここでは古生代後期の夜久野オフィオライト,その北側の古生代前期の大江山オフィオライト,そしてそれに伴う古生代の高圧型変成岩も,日本海を越えて対岸に連続する可能性が高いことを議論する.日本海形成以前の地質の連続性と各地質体の形成時代などをまとめて図1に示す.

図2.沿海州の地質構造概略図.オフィオライトを黒色で示す.(拡大図 カラー英語版

(2)沿海州の地質  [もどる]
 図2に示すように,沿海州の地質は,西部のハンカ地帯と東部のシホテアリン地帯に大きく区分される[29,79].ハンカ地帯は西からマトヴェエフカ―ナヒモフカ帯,スパスク帯,ヴォズネセンカ帯,セルゲーエフカ帯の4つに区分され,スパスク帯とセルゲーエフカ帯に古生代前期のオフィオライト岩類が産する.スパスク帯ではカンブリア紀中期,セルゲーエフカ帯でもデボン紀以後にはオフィオライト岩類を不整合に覆って礫岩や砂岩が堆積した.小林や中沢が日本との類似を指摘したのは,後者の地層と思われる.セルゲーエフカ帯のオフィオライトはサマルカ帯のジュラ紀付加体堆積物に衝上するナップをなし,衝上断層に沿って古生代後期の変成岩(一部高圧型)を産する.シホテアリン地帯の南部は西からサマルカ帯(または那丹哈達(ナダンハダ)−西部シホテアリン帯[33]), ジュラブレフカ帯,タウハ帯(またはダルニェゴルスク(旧名テチューヘ)帯[33])に区分され,サマルカ帯は日本の丹波・美濃・足尾帯と同様にジュラ紀中期〜白亜紀初期の付加体中に古生代中〜後期のオフィオライト岩類が産し,タウハ帯では日本の秩父帯と同様に白亜紀前期付加体中に古生代後期の緑色岩が産する[33,83].ジュラブレフカ帯は最も構造的下位に位置し,下方へ若くなるいくつかの地質体よりなるが,付加体とは異なり二枚貝・アンモナイトなどを多産する地層である.その岩相は北海道の空知層群や下部蝦夷層群に類似するが[83],幌加内オフィオライト相当のジュラ紀オフィオライトは産しない.


図3.飛騨山地から中国地方にかけての西南日本内帯の地質構造概略図.(拡大図 カラー版(一部異なる))


(3)日本のオフィオライトの年代論  [もどる]
 日本のオフィオライトの年代論は,沿海州との対比上重要である.図3に西南日本内帯の地質構造区分を示すが,この中の大江山帯と舞鶴帯にオフィオライト岩類が産する.これまでに公表された大江山帯のオフィオライト変斑れい岩の角閃石K-Ar(カリウム-アルゴン)年代は420-460Ma(オルドビス紀),夜久野オフィオライト変斑れい岩の角閃石K-Ar年代や変火山岩のRb-Sr(ルビジウム-ストロンチウム)アイソクロン年代は250-280Ma(二畳紀)に集中し,両者の年代ははっきり異なる[16,19,87].夜久野オフィオライト上部の変玄武岩に伴う黒色頁岩からは二畳紀中〜後期の放散虫化石が報告されている[37].ヘルジックほか[12]は兵庫県朝来町の夜久野オフィオライト斜長石花崗岩について,片理の顕著な試料に285±2Ma, 無片理の試料に282±2Maという二畳紀前期のジルコンU-Pb(ウラン‐鉛)年代を与えた.佐野[54]は夜久野変斑れい岩の全岩Nd-Sm(ネオジム-サマリウム)アイソクロン年代を409-426Ma(シルル紀)と報告したが,地点も岩相も異なる様々な試料を用いていて,同時に測定したSr同位体比はアイソクロンを描かず,同じ年代を示す全岩・鉱物Nd-Smアイソクロンも全岩と鉱物は別試料を用いており,Nd同位体比やNd/Sm比の異なる起源物質に由来する岩石の混合線の可能性がある[12].彼の夜久野変玄武岩の同一試料の全岩・単斜輝石Nd-Smアイソクロン年代は311±65Maで,誤差範囲で従来の年代と一致する.そこで,ここでは従来通り,大江山オフィオライトはオルドビス紀(約450Ma)以前,夜久野オフィオライトは二畳紀頃(約280Ma)の形成と判断する.  [もどる]

図4.ハンカ・オフィオライトの地質図([59]に基づく).(拡大図 カラー英語版


(4)沿海州のオフィオライト  [もどる]
 沿海州の主なオフィオライト岩体群としては,ハンカ,セルゲーエフカ,カリノフカ,ビキンの4つがある.前2者はハンカ地帯に産し,後2者はシホテアリン地帯に産する. 我々は1993年,1998年,1999年の3回にわたって,沿海州のオフィオライトとそれに伴う変成岩の調査を行った[17,18,21].図4に示すように,Khanka地帯には蛇紋岩を主とする小岩体群よりなる西部のハンカ・オフィオライトと,角閃石変斑れい岩を主とし多量の花崗岩類を伴う大岩体である東部のセルゲーエフカ・オフィオライトがある.どちらも古生代前期のオフィオライトで,後者はジュラ紀付加体に衝上するナップをなし,構造的下位に古生代後期の高圧型変成岩を伴う.そしてシホテアリン地帯サマルカ帯のカリノフカとビキン付近には,古生代中期の変斑れい岩類を主とするオフィオライト岩体群が北北東方向に並び,ジュラ紀付加体に衝上する産状を示す. 

 ハンカ・オフィオライトは,ハンカ湖の南東岸,スパースク帯のカンブリア紀石灰岩の間に構造的に挟まれて,1km大の蛇紋岩・斑れい岩・玄武岩が北西方向に25km程度にわたって散在するもので,カンブリア紀中期の礫岩に不整合に覆われる.カンブリア紀前期〜中期の数千万年間でオフィオライトの形成から衝上・侵食が完了したことは,大陸リフトがすぐに衝突帯に転化した歴史を示唆する.
 このオフィオライトは,中国国境にあるハンカ湖の南東岸,スパスク-ダルニー市南方20kmのマーリー・クリューチ村付近に分布し,北西―南東方向に点々と分布する1〜2km程度の大きさの蛇紋岩,滑石マグネサイト岩,単斜輝石岩,斑れい岩・輝緑岩などの岩体よりなり,オフィオライト層序は保存されていない(図4).これらのオフィオライト岩体は,石灰岩や頁岩よりなるドミトリエフスカヤ層の石灰岩と断層で接するが,輝緑岩の岩脈が石灰岩を貫くことがある.石灰岩は,多産するアーケオシアタス(古杯類)や三葉虫類の化石によって,カンブリア紀前期〜中期と年代決定されている.これらを傾斜不整合で覆ってメルクシェフスカヤ礫岩層が堆積しており,礫種は下位層の石灰岩が多いが,チャート・砂岩・珪長質火山岩など下位層にない岩石の礫を含む部分もあり,基底部には各種のオフィオライト礫やクロムスピネル粒子を含む部分がある.この礫岩層と同時異相のメドヴェジンスカヤ礫岩層の産出化石から,礫岩層の年代もカンブリア紀前期〜中期とされている.蛇紋岩や滑石マグネサイト岩中のクロムスピネル残晶はクロム数(Cr# =Cr/(Al+Cr+Fe3+))が0.42〜0.62,三価鉄数(Fe3+#=Fe3+/(Al+Cr+Fe3+))が0.03〜0.12である.礫岩中のクロムスピネルはこれらより組成範囲が広く,Cr#=0.37〜0.70, Fe3+#=0.04〜0.15である.フェリットクロマイト化した部分はマンガン(MnO)を4-5重量%,亜鉛(ZnO)を0.5-1.0重量%含むものが多く,礫岩中の砂粒として最大19重量%のマンガンを含むものが産する[59].クロムスピネル残晶の組成から見ると,大江山オフィオライト西部のマントルかんらん岩と一致する.
 ハンチュークほか[29]はスパスク帯を付加体と考えているが,オフィオライトが定置した地層は頁岩と互層し三葉虫や古杯類の化石を産する礁石灰岩であり,むしろ西隣のマトベエフカ・ナヒモフカ帯と同様に受動的大陸縁の環境が示唆される.受動的大陸縁で形成された石灰岩上にオフィオライトが衝上する現象は,アルプスやアパラチアなど大陸衝突型造山帯では普通に見られ,ハンカ地塊の南東縁でリフト帯発生→オフィオライト形成→大陸衝突・オフィオライト衝上→造山帯の侵食・モラッセ(礫岩)の堆積という一連の過程がカンブリア紀中期の非常に短期間(1〜2千万年程度)に行われた可能性が高い.環太平洋地域では,他にも米国西部クラマス山地,ロシア北東部コリヤーク山地,西南日本内帯及び北上山地,オーストラリア東部及びタスマニアなどにカンブリア紀〜オルドビス紀のオフィオラトがあり,それらは全て若い付加体の上に衝上する「付加体型」の産状を呈するが,今回調査したマーリー・クリューチのハンカ帯オフィオライトは「大陸衝突型」の産状を呈する点で興味深い.日本にはこのような産状のオフィオライトはない.  [もどる]

図5.セルゲーエフカ・オフィオライトの地質図([85]に基づく) (拡大図


 セルゲーエフカ・オフィオライトは,図5に示すようにナホトカ近傍の30x130kmの範囲に分布し,沿海州最大である.片麻状角閃石変斑れい岩が80%を占め,大量の花崗岩と若干のトロクトライト貫入岩体および片麻岩,角閃岩,大理石などの変成岩ブロックを伴う,ジルコンU-Pb(ウラン・鉛)年代は片麻状変斑れい岩が528±3Ma,片麻状閃緑岩が504±3Ma,花崗岩が493±12Maである[29].また,花崗岩の白雲母K-Ar年代は529Ma,ナホトカ近郊の海岸に露出するざくろ石角閃岩の角閃石K-Ar年代は622 Maと報告されている[44]. ハンチュークほか[29]はこれをカンブリア紀の大陸縁の地殻断片とし,オフィオライトとは呼ばないが,斑れい岩が80%を占める大陸地殻というのは疑問である.セルゲーエフカ岩体は,岩相的には夜久野オフィオライトの玄武岩メンバー下部から斑れい岩メンバー上部(特に舞鶴帯北帯の)によく類似し,変斑れい岩中に角閃岩を主とする舞鶴変成岩のブロックが含まれ,多量の舞鶴花崗岩に貫かれる関係が共通している.ナホトカ港を見下ろす丘に舞鶴とナホトカの姉妹都市締結記念碑が立っており,この石は舞鶴から運んで来た径3mほどの変斑れい岩だが,粒度が不均質で多くの白色脈に不規則に貫かれる様子は,ナホトカ近郊に露出するセルゲーエフカ・オフィオライトの変斑れい岩と同じである.しかし,セルゲーエフカ・オフィオライトの年代は,大江山オフィオライトと同様に古生代前期である. 
 セルゲーエフカ・オフィオライトの南縁や地窓の衝上断層沿いに露出するシャイギンスキー片岩類(泥質片岩とクロス閃石やバロア閃石を含む青色片岩)の白雲母K-Ar年代は230-250Maを示す[21,36,73].これに随伴するアブダキモフ片麻岩類(角閃石ざくろ石片麻岩,角閃岩,大理石など)は2.47Ga(「Ga」は10億年前を示す時間の単位)のRb-Srアイソクロン年代を示すが[35],角閃石のK-Ar年代は約250Maを示す(辻森,未公表データ).その構造的下位にはサマルカ帯のジュラ紀付加体堆積物がある.この関係は,やや年代は異なるが,西南日本の大江山オフィオライト(約460Ma),青色片岩に富む蓮華変成岩(約320Ma),そして丹波帯のジュラ紀付加帯の累重構造と似ている.現在の大江山オフィオライトは主に蛇紋岩からなるが,420-460Maの角閃石変斑れい岩を伴い,長崎県野母半島には460-590Maの年代を示す変斑れい岩が産し,山口県長門構造帯には380-430Maの変斑れい岩,角閃岩,片麻岩,花崗岩と260-300Maの高圧変成岩が産する.大江山オフィオライトの古い年代を示す片麻状角閃石変斑れい岩は,セルゲーエフカ・オフィオライトのものと岩相的にもよく似ており,両者が一連のものであった可能性は高い.
 カリノフカ・オフィオライトは沿海州中南部に雁行状に並ぶ幅5km,長さ40km程の3つの岩体群よりなり,ダナイト,トロクトライト,ウェルライト,単斜輝石岩,かんらん石輝石斑れい岩,角閃石含有斑れい岩,斜長石花崗岩,玄武岩枕状溶岩からなり,玄武岩に伴うチャートや石灰岩からはデボン紀後期〜二畳紀前期の放散虫やコノドントが産し [78],斑れい岩の角閃石K-Ar年代は410±9Maである[27].しかし,この角閃石は非常にカリウムが少ない試料で,測定値も1つだけであり,年代の信頼性は低い.斑れい岩中に角閃岩ブロックや花崗岩の貫入岩体がない点で南方のセルゲーエフカ・オフィオライトとは異なる.カリノフカ・オフィオライト,ウデカ層,ジュラ紀付加体という構造的累重関係は,夜久野オフィオライト,超丹波帯,丹波帯の関係に類似する[83].トロクトライトのかんらん石と斜長石の間にはスピネル輝石反応縁があり[78],ざくろ石を含む変斑れい岩もある[28].最近京都府夜久野町の変斑れい岩中からも同様な反応縁をもつトロクトライトが発見された(市山・石渡,発表準備中).両者の岩相は類似するが,カリノフカ・オフィオライトの年代は大江山オフィオライトに近い.  [もどる]

図6.ビキン・オフィオライト,ソルディンスキー岩体の地質図([79]に基づく). (拡大図 カラー英語版


 ビキン・オフィオライトは沿海州北部の幅1km, 長さ2-3kmの3個の岩体(北からオロンスキー, ザロミンスキー, ソルディンスキー)よりなり,二畳紀の玄武岩とチャートを伴う.我々はこのうちソルディンスキー岩体の一部を観察することができた(図6).非常に露出が悪いが,岩石は比較的新鮮で,転石で見る限りレーヤリングが発達しており,夜久野オフィオライトのモホ面付近のグラニュライト相スピネル両輝石変斑れい岩,スピネル輝石岩,スピネルかんらん岩と酷似する岩石よりなる.同位体年代はまだないが,伴う地層の年代や岩相は夜久野オフィオライトと同一である.ヴィソツキー[78]はビキン・オフィオライトを高圧オフィオライト,カリノフカ・オフィオライトを低圧オフィオライトとしているが,これは前者に斜長石とかんらん石が共存せず,完全にスピネル+両輝石のスピネルかんらん岩相の組合せになっているのに対し,後者は斜長石とかんらん石の共存がよく見られ,反応縁の形成(大部分はスピネル+斜方輝石+角閃石)が部分的であることによる.
 まとめると,沿海州のオフィオライト,特にセルゲーエフカ・オフィオライトは,年代および蓮華帯相当の変成岩を伴ってジュラ紀付加体に衝上する産状が日本の古生代大江山オフィオライトによく類似する.ただし,大江山オフィオライトの主体がマントルかんらん岩からなるのに対し,セルゲーエフカ・オフィオライトは斑れい岩主体でマントルかんらん岩を全く欠く.ビキン・オフィオライトは岩相が夜久野オフィオライトによく類似するが,まだ年代値が得られていないため,同じ時代のものかどうか不明である.西南日本外帯や北海道の中・新生代オフィオライトに相当するものは存在しない.


(5)日本の古生代高圧型変成岩類  [もどる]
 上述のように,沿海州及び日本を含め,環太平洋造山帯の基本構造は,構造的上位から下位へとより若い付加体が底角度のナップとして重なり合ったパイル・ナップ構造で特徴づけられる.その中で,高圧変成帯は,より形成年代の古いオフィオライトに衝上される薄いナップとして認められ,大陸側から太平洋側に向かって,より変成年代の若い高圧変成帯とオフィオライトが,非変成の付加体を挟みながら累帯配列している.例えば,西南日本内帯の蓮華変成帯,北米西岸のフランシスカン変成帯,ニュージーランドのハースト変成帯,ニューカレドニアの高圧変成帯は,それぞれ大江山,コーストレンジ,ダンマウンテン,ウェストコーストのオフィオライトに衝上されている.高圧変成帯には (1)広域的な広がりを持ち,累進的な変成作用を解析できるような変成帯と,(2)蛇紋岩や他の砕屑岩起源弱変成岩のマトリクス中にブロック化してメランジェ帯を形成しているもの,の2種類の産状が認められる.広域的な高圧変成帯としてはニューカレドニアや三波川変成帯などがそれに相当し,メランジェ的な変成帯はフランシスカン変成帯,蓮華変成帯,神居古潭変成帯などに相当する.橋本[11]は,日本の藍閃変成帯のほとんどはメランジュ的な性質を持ち,例外的な産状の三波川帯に関して特別な地史を経た可能性について指摘している.いずれにしても,藍閃変成帯の産状はその上昇過程に支配され,その上昇のメカニズム自体はプレート収束域で起きている様々な要因によって支配されている.
 西南日本では白亜紀から新生代にかけての大量の花崗岩類の貫入や中央構造線のような大規模断層によって少なからず,初性的な地質構造は乱されていることが多いが,基本的な地質構造はパイル・ナップ構造で特徴づけられる(例えば[22]).西南日本を形づける主要な地質構造帯は以下の通りである.大陸側から海洋側に向かって;
飛騨帯:250Ma片麻岩(〜1100Ma)+花崗岩(カッコ内は原岩または古期変成作用の年代)
宇奈月帯:250Ma 中圧型変成岩
隠岐帯:250Ma片麻岩(2000〜1600Ma)+花崗岩
大江山帯:500Ma オフィオライト
蓮華帯:300〜400Ma 高圧型変成岩
秋吉帯:二畳紀後期付加体
舞鶴帯:280Ma オフィオライト(夜久野オフィオライト)+二畳紀中期付加体
周防帯:180-230Ma藍閃変成岩
超丹波帯:二畳紀末(または三畳紀初期?)付加体
美濃-丹波帯:ジュラ紀付加体
領家帯:白亜紀後期花崗岩と先白亜紀付加体の低圧型変成部
三波川帯・御荷鉾帯・秩父帯:白亜紀前期の付加体とその高圧型変成部
黒瀬川帯:内帯の大江山帯,蓮華帯,秋吉帯を主体とする地帯群のクリッペ(衝上片)
秩父南帯:内帯の丹波帯相当のクリッペ
四万十帯:白亜紀後期〜第三紀中新世の付加体
である.
 環太平洋地域を通して,中生代中期から後期の年代を示す高圧変成帯が最も多く,三畳紀や古生代後期にも集中する.西南日本では,古い順に,蓮華変成帯(約3億年前),周防変成帯(約2億年前),三波川変成帯(約1億年前)の3つの主要な高圧変成帯が造山帯中に記憶されている.また,最近,辻森ほか[87]は,約4億年前の高圧変成帯の存在を提案している.
 飛騨山地には,飛騨外縁帯と呼ばれる,西南日本の様々な先ジュラ系地質体が構造的に混合している地域が存在し,飛騨帯・宇奈月帯を取り囲むように分布している.飛騨外縁帯には,主要な構成要素の1つとして,蓮華変成帯の高圧変成岩類が含まれる.蓮華変成岩は蛇紋岩メランジュ中のブロックとして青海地域,蓮華地域などに断片的に分布し,また,福井県の伊勢地域や箱ヶ瀬地域では,ジュラ紀末期から白亜紀のモラッセ堆積物である手取層群中のオリストリスとして産する.飛騨山地東部の青海地域は坂野[2]によって世界で最初に青色片岩帯の変成分帯が行われた記念すべき地域である.青海地域の蓮華変成岩は黒雲母を含んだ泥質片岩と緑れん石角閃岩(ホルンブレンド片岩)が多産し,高圧中間群的な色合いが濃く典型的な青色片岩はまれである.ところが,最近,青海地域には,藍閃石片岩が多産する地層が確認され,転石として.エクロジャイト質藍閃石片岩が発見された[71,72].西南日本内帯では青海片岩[3]を含む蓮華変成帯において,エクロジャイト相レリックが,飛騨山地の八方尾根蛇紋岩メランジュ中の緑れん石角閃岩ブロック[34,47]と中国山地の大佐山蛇紋岩メランジュ中のざくろ石藍閃石片岩ブロック[70,74]の2箇所から報告されていた.しかし,新たに発見されたエクロジャイト質藍閃石片岩は,マトリクスに大量のオンファス輝石が存在し,緑れん石青色片岩相からエクロジャイト相への累進変成作用の過程が鉱物組織から読みとれる累進的なエクロジャイト相鉱物組み合わせ及び鉱物組織を保持している点でそれらと異なる.三波川変成帯を除いた本邦藍閃変成帯において,これまで累進的なエクロジャイト相鉱物組み合わせをもつ変成岩は知られていなかった .

図7.セルゲーエフカ・オフィオライト岩体の構造的下位に産するシャイギンスキー変成岩及びアブダキモフ変成岩の白雲母K-Ar年代及び西南日本(宇奈月,蓮華),韓国(臨津江),中国(大別・蘇魯)の変成岩との年代比較.横軸の年代の位置は揃えてある. (拡大図


(6)ロシア沿海州の古生代高圧型変成岩類  [もどる]
 ロシア沿海州シホテアリン山地には,5億年前後の放射年代を示す変斑れい岩主体としたオフィオライト質岩体(セルゲーエフカ変斑れい岩)が露出し,その構造的下位に藍閃変成岩(シャイギンスキー変成岩)[36]及びジュラ紀付加体が小さな地窓として点在する.この関係は,西南日本の大江山帯/蓮華帯/丹波帯の関係に似ているが,ここでは秋吉帯相当の付加体を欠き,セルゲーエフカ変斑れい岩には大江山オフィオライトに特徴的なマントルかんらん岩が全くない.我々は1998年4月20-26日に,ウラジオストックの極東地質研究所に所属する発見者らの案内で,ナホトカ北東約50km,パルチザンスク市東側の山地において,北からアレクセーエフカ, イクリャンカ, ヴォドパドナヤという3本の川に沿って露出するこの青色片岩類(シャイギンスキー変成岩)を観察した.それらは,古生代前期以前の巨大なオフィオライト断片であるセルゲーエフカ変斑れい岩のスラストシート(衝上岩体)の構造的下位に,幅2km,長さ20km程度の3列の地窓として狭く分布する.
 シャイギンスキー変成岩の塩基性片岩は緑れん石-青色片岩相(クロス閃石)から緑れん石-角閃岩相(バロア閃石-ホルンブレンド)までの変化が見られる.特に,イクリャンカ川地域では,セルゲーエフカ変斑れい岩とシャイギンスキー変成岩の間のアブダキモフ片麻岩に向かい変成度が上昇する.泥質片岩はざくろ石帯以上の変成度で,高変成度部では灰曹長石(An18)が出現する(ただし,黒雲母は全く出現しない).ざくろ石は非常に顕著な正累帯構造を保存しいるが,リムに逆累帯するものとしないものが混在する.特に,逆累帯しないものはマントル(周辺部)でMgの極大が見られ,コアにセクター構造のような組成不均質が見られる.灰曹長石を含む試料で,ざくろ石―緑泥石間の鉄マグネシウム分配係数(KD(Mg-Fe))は1.0-1.4に達する.また,まれに,タラマイトを含む泥質片岩がある.パルチザンスク地域のシャイギンスキー帯最北部の珪質片岩は紅れん石を含む.
 アブダキモフ片麻岩は,非常に粗粒で変形の著しい岩相で,セルゲーエフカ変斑れい岩やシャイギンスキー変成岩とは全く異なる.特に,イクリャンカ川地域では,ざくろ石の斑状変晶が最大径7cmに達するざくろ石角閃岩が露出する.ざくろ石角閃岩は,ツェルマック閃石(Al2O3=〜19重量%),ゾイサイト,イルメナイト,白雲母,斜長石(An27),石英からなり,ざくろ石の包有物としてのみ,ルチル・曹長石・プレーナイトに置換された鉱物仮像が産する.ヴォドパドナヤ川地域では,ざくろ石角閃岩が,角閃石片麻岩中のレンズとして産し,ここでは大理石も産する.アブダキモフ片麻岩からは,これまでに21〜25億年のRb-Sr年代が知られていたが,我々のK-Ar年代測定では,約2.5億年に集中する年代値が得られた.シャイギンスキー変成岩からも,同様のK-Ar年代値が得られており,アブダキモフ片麻岩は,シャイギンスキー変成岩とともに,約2.5億年の変成帯を構成しているかもしれない.コヴァレンコとハンチューク[36]は含ざくろ石泥質片岩中のフェンジャイトのK-Ar年代として255Ma及び290Maを報告しており,当初,我々はシャイギンスキー変成岩が,西南日本の蓮華変成帯に相当するものと期待していた.実際に,古生代前期のオフィオライトの構造的下位に古生代後期の藍閃片岩がある関係は日本海対岸の西南日本内帯と共通し,地質構造の連続性を示唆する.ところが,我々が行ったシャイギンスキー変成岩(泥質片岩)のフェンジャイトの250〜230 Maに集中するK-Ar年代は,西南日本の蓮華変成帯(330〜280Ma)とも周防変成帯(200〜170Ma)とも一致せず,むしろ,秦嶺-大別-蘇魯変成帯(240〜220Ma),臨津江(イムジンガン)変成帯(250-220Ma),宇奈月変成帯(250〜210Ma)の年代値に近い(図7).最近,朝鮮半島や西南日本の飛騨帯や隠岐帯の片麻岩類からは,約250Maに集中するモナザイトのCHIME(ウラン・トリウム・鉛化学アイソクロン法)年代が続々と報告されており[64],約250Ma前後の変成岩は,東アジア東縁の構造発達史を解明する上で重要な鍵を握る.


図8.中朝地塊と揚子地塊の古生界の典型的な層序([81]に基づく)  (拡大図 カラー版


3.西南日本・ロシア沿海州と中国大陸及び朝鮮半島との関係  [もどる]

(1)朝鮮半島は中朝・揚子どちらの地塊に属するか
 中国東部の地質は北部の「華北地塊」(または「中朝地塊」)と南部の「揚子地塊」に大分される.どちらも先カンブリア系の基盤をもつ大陸塊だが,古生代の地層の層序や化石生物相が2つの地塊で特徴的に異なることが知られていた.即ち揚子地塊では,厚い下部古生界石灰岩と厚い上部石炭系石灰岩の間に,500m程度の厚さのシルル・デボン系頁岩が挟まれ,ほぼ古生代全体にわたって連続的に地層が堆積しているのに対して,華北地塊では3kmほどの厚い下部古生界石灰岩を薄い上部石炭系の砂岩・泥岩・炭層が不整合に覆い,古生代中期(シルル紀・デボン紀・石炭紀前期)の地層がほとんど欠如していて,これは「大欠層」と呼ばれてきた[81](図8).両地塊の境界は秦嶺山脈から大別山を経て蘇魯(スールー,江蘇省と山東省の意)地域に伸び,更に黄海を越えて朝鮮半島中部に続くと考えられたので,秦嶺(チンリン)-京城(ソウル)線(地軸,陸橋)と呼ばれていた.ただし,朝鮮半島では,ソウル南方の沃川(オクチョン)帯(図9)でも「大欠層」がみられ,南北の化石生物相の違いもはっきりせず,ソウル付近の境界は疑問である.小林[31]は,東アジアのオルドビス系が「秦嶺・京城線をもって南北2区に分かたれる」と断言したが,15年後には「秦嶺・京城線は陸棚でもなければ地質構造線でもない.この線を越えて南北に生物の交流があったし,また秦嶺から知られているオルドビス紀の化石は華中・華南のものに近い」とだいぶトーンダウンしている[32].古生界の層序からみて,朝鮮半島全体が中朝地塊に属すると考えた方がよい.

 図9.朝鮮半島の地質構造概略図([30,53]に基づく).(拡大図 カラー版


(2)朝鮮半島の臨津江帯は蘇魯超高圧変成帯の延長か  [もどる]
 蘇魯超高圧変成帯の東方延長として,アーンストとリュー[6]や磯崎[22]は,軍事境界線付近の臨津江(イムジンガン)帯から京畿(キョンギ)地塊北部を想定し(図9),それが更に日本の三郡帯および宇奈月帯に伸び,もう1つの支脈が沿海州に伸びる可能性を示した.江蘇・山東省の蘇魯(スールー)帯と,それが?廬(タンルー)断層で変移した西方延長とされる湖北・安徽省の大別(ターピエ)山では,高圧及び超高圧変成岩の39Ar-40Ar,Nd-Sm及び変成ジルコンのU-Pb年代として210-240Ma が報告されている[1,39].臨津江帯のザクロ石角閃岩から249MaのNd-Sm鉱物アイソクロン年代を報告したリーほか[53]は,アーンストとリュー[6]の考えを支持し,その角閃岩はエクロジャイトが後退変成したものと考えた.しかし,臨津江帯では,既に山口[82]が報告したように,角閃岩分布域のすぐ北に,片理が北傾斜で変成度が南方へ上昇する典型的なバロウ型中圧変成帯(ザクロ石帯,十字石帯,藍晶石帯)がある.このような変成帯は大別-蘇魯地域には存在せず,全体に北傾斜の大別地域では,逆に北方へ変成度が上昇する.
 中朝地塊内部では,北京西方の房山付近にも,泥質岩に藍晶石や十字石を産し,白雲母Ar-Ar年代が200-230Maの中圧型変成帯があり[80],臨津江帯[53,82],沃川帯[43],宇奈月帯[13]とともに,このような中朝地塊内部の局地的な古生代後期〜中生代前期変成作用の産物と思われる(図10).沃川帯や宇奈月帯も,臨津江帯と同様,構造的下位に多量の角閃岩類を伴うという共通点もある.

図10.東アジア地域の古生代後期(250 Ma前後)の中圧・高圧・超高圧変成帯とそのつながり.日本列島の位置は日本海拡大前の状態に復元してある.蘇魯変成帯の東方延長は朝鮮半島を大きく南へ迂回して石垣島を通り西南日本,ロシア沿海州へと続く沈み込み帯(高圧変成帯)だったと考えられる. (拡大図 カラー英語版


(3)日本とロシア沿海州の高圧変成帯  [もどる]
 ロシア沿海州のセルゲーエフカ変斑れい岩体(古生代前期オフィオライト)下の地窓に産するシャイギンスキー高圧変成岩類の泥質岩の白雲母K-Ar年代は230-250Maである[36,73].この年代は,西南日本内帯の大江山オフィオライトの構造的下位に産する蓮華変成岩類(280-330Ma)と周防(すおう)変成岩類(170-200Ma)の中間であり,上述の大別-蘇魯超高圧変成帯の年代値と一致する(図7).一連のプレート収束帯の延長上でも,大陸地殻が沈み込む部分では超高圧変成作用が起き,海洋地殻が沈み込む部分では通常の高圧変成作用が起きたことは充分考えられる[6].しかし,ある時代に形成された高圧変成岩が,すべて上昇して露出するものでないことは,現在の断片的な分布を見ても明らかであり,日本に250Maの高圧型変成岩がないからと言って,その時代のプレート収束帯が日本を通っていなかったとは断言できない.それよりやや古い蓮華変成岩類とそれよりやや新しい周防変成岩類が存在することは,この間日本がプレート収束帯であり続けたことを示唆する.


(4)蘇魯超高圧変成帯の延長は朝鮮半島を迂回して日本へ  [もどる]
 以上の議論から,蘇魯超高圧変成帯の東方延長は朝鮮半島にはなく,その南,即ち西南日本内帯からロシア沿海州に伸びる古生代後期〜中生代前期の高圧変成帯(広義の三郡帯)にあった可能性が高い.その場合,蘇魯超高圧変成帯は山東半島の東側の黄海中で急に南へ曲がり,東シナ海の海底を通って朝鮮半島を迂回し,日本へ続いていたことになる.その場合,どこを通るかが問題になるが,この問題にとって重要なのが八重山諸島石垣島の高圧型変成岩(トムル層)である.西村ほか[49]によると,この変成岩は,低変成度のものはパンペリー石・藍閃石(クロス閃石組成)の組合せでローソン石をしばしば伴い,中変成度のものは典型的な緑簾石・藍閃石片岩であり,高変成度のものは緑簾石・バロア閃石片岩で,構造的上位に向かって変成度が上昇する.泥質片岩及び塩基性片岩の白雲母のK-Ar年代は159-175Maであるが,フォールほか[7]の39Ar-40Ar法年代測定によると,白雲母が225±4.8 Ma,バロア閃石・クロス閃石が237±6.3Maと古い年代を示す.フォールらの石垣島変成岩の年代は蘇魯超高圧変成作用の年代に一致し,その延長が南へ屈曲して石垣島を経由する可能性を示唆する (図10).蘇魯超高圧変成帯の東方延長が朝鮮半島に連続せず,南へ屈曲するという考えは,朝鮮半島南部にも古生代中期の大欠層があること,朝鮮半島の先カンブリア系の地質構造が全体として朝鮮半島中部の西海岸を中心として「北東へ凸な弧を描く」ことを根拠として,日本の白亜紀〜古第三紀堆積物の供給源に関する論文中で既に寺岡ほか[67]が述べている.

図11.地球上でプレート境界が大きく屈曲している例.日本列島などの位置は現在のままとして示した.(A)蘇魯変成帯から日本への屈曲した変成帯のつながりと超高圧変成岩の産出位置.(B)アルプス造山帯の屈曲と超高圧変成岩およびマントル深部岩石の産出位置.(C)インドネシア地域.(D)南米と南極の間の大きく張り出したプレート境界. (拡大図 カラー英語版


(5)超高圧変成帯と入り組んだプレート境界との関係  [もどる]
 もし上記の仮説を受け入れるなら,中朝地塊と揚子地塊の境界をなす超高圧―高圧変成帯は,大別山から蘇魯地域まで600km程度北上し,そこからから石垣島まで1500km南下し,そこから再び北上して西南日本からロシア沿海州へ続くことになり,非常に入り組んでいることになる(図11).そして蘇魯地域は,この境界が北へ大きく張り出した揚子地塊の突出部(プロモントリー)の先端に位置することになり,大別地域や石垣島はこの境界が南へ大きく張り出した中朝地塊の突出部の先端に位置することになる.このような大陸プレートの突出部の先端付近は,両側の海洋プレートの沈み込みに伴って,大陸地殻物質がマントル深部まで沈み込みやすいと考えられ,大陸地殻物質の超高圧変成作用を説明するのに都合がよい.実際,アルプスの超高圧変成作用はイタリア・フランス国境付近によく見られ,ここはイタリア半島に沿って北東へ伸びる古アフリカ大陸の「アドリア突出部」の先端に位置する.また,マントル深部から上昇してきたダイアモンドを含むざくろ石かんらん岩が産するスペイン南部のロンダ岩体,および対岸のモロッコ北部のベニ・ブーシェラ岩体は,ジブラルタル海峡を先端とするアルプス造山帯の西方への突出部に位置する(図11).これらは,屈曲した造山帯の先端部が,マントル深部への地殻物質の沈み込み(サブダクション)およびその深度からの物質の上昇と削剥(エグジュメーション)を引き起こしやすいことを示す例であり,蘇魯変成帯もこのような突出部の先端にあると考えられる.
 以上のように,西南日本からロシア沿海州のシホテアリン山地に続いていた古生代後期〜中生代前期の三郡・蓮華高圧変成帯は,石垣島を経由して中国の蘇魯・大別超高圧変成帯に続いていた可能性が高い.


図12.白亜紀以後のマグマ活動の推移と日本海の形成過程(日本列島の移動).A.白亜紀,B.古第三紀,C.新第三紀(日本海拡大以前),D.新第三紀〜現在(日本海拡大後).島津ほか[60],松田ほか[41],鄂と趙[5],イオノフほか[14]などによって編集. (拡大図


4.白亜紀〜古第三紀大陸縁における花崗岩質マグマ活動について  [もどる]

 白亜紀〜古第三紀の花崗岩や流紋岩を主とする火成岩類は日本と沿海州に広く分布している(図12A,B).北陸地方で白川花崗岩,濃飛(のうひ)流紋岩類,太美山(ふとみやま)層などと呼ばれる岩石や地層がこの時代のものである.中部地方以西の西南日本では,太平洋側(山陽帯)に錫―タングステン鉱床を伴うチタン鉄鉱系列の還元的な花崗岩が分布し,日本海側(山陰帯)にモリブテン鉱床を伴う磁鉄鉱系列の酸化的な花崗岩が分布する規則性が見られる[57,58].時代的には,山陽帯は白亜紀,山陰帯は古第三紀の花崗岩が多い.
 ロシア沿海州では,内陸部の白亜紀の花崗岩はチタン鉄鉱系列で,コムソモルスク,ヴォストーク2,カヴァレロヴォ等の大規模な錫―タングステン鉱床を伴うが,海岸部には古第三紀の火山・深成複合岩体が多く,それらは磁鉄鉱系列で,ダルニェゴルスクには岐阜県北部の神岡鉱山によく似た鉛・亜鉛鉱床があり(但し,ダルニェゴルスクは大規模なホウ素鉱床を伴う点で異なる),他にも多数小規模な金鉱床を伴う[56,57,58]. 宮沢[86]は西南日本と韓国で白亜紀〜古第三紀の鉛・亜鉛鉱床が北側に,銅鉱床がその南側に分布する規則性を示して5000万年前以後の日本列島の南への移動を論じ,沿海州の鉛・亜鉛鉱床は北側(山陰帯)の延長であるとした.松田ほか[41,42]も山陰帯と沿海州海岸部の花崗岩帯の類似性を強調し,日本海拡大以前は両者が連続していた可能性を指摘しているが,佐藤ほか[58]は,山陰帯のようなモリブデン鉱床を伴う花崗岩が沿海州にはなく,単純に山陰帯の続きと考えるのは早計だと述べている.ただしこれは,沿海州海岸部では日本のように侵食が進んでいないので,花崗岩の露出が少ないためかもしれない.いずれにしても,日本海拡大以前の白亜紀から古第三紀にかけて,日本とロシア沿海州の全体にわたり,大規模な金属鉱床の形成を伴って,チタン鉄鉱・磁鉄鉱両系列の花崗岩マグマが活動したことは確かである.そして,白亜紀の日本―沿海州花崗岩マグマ活動帯(低圧型変成作用を伴う)の太平洋側には,当時の沈み込み帯に沿って,三波川(さんばがわ)変成帯と神居古潭(かむいこたん)―ススナイ変成帯などの高圧型変成帯が形成された(図12A).
 ところで,北陸地方の基盤を形成している飛騨帯(図3)には,ジュラ紀の花崗岩類(船津花崗岩類など)が多量に存在し,これは沈み込み帯における美濃丹波帯ジュラ紀付加体の形成と対応する島弧マグマ活動の産物と考えられている.しかし,沿海州にはジュラ紀付加帯はあるが,ジュラ紀の花崗岩マグマの活動は知られていない[42,58].
 

図13.北陸地方のグリーンタフ火山岩類(中新世前期)及び月長石流紋岩の分布. (拡大図 カラー英語版


5.日本海拡大直前に活動した月長石流紋岩 [もどる]

(1) 月長石流紋岩とは 
 冨田[69]は「環日本海アルカリ岩石区」を提唱した.即ち,日本海を取り巻いて,北朝鮮明川郡,南朝鮮迎日湾付近,島根県隠岐島などに,新生代のアルカリの多い((Na2O+K2O)/Al2O3分子比が1より高い)玄武岩や流紋岩が産する.同じようなアルカリ火山岩は,その後北陸地方の富山県城端町臼中(小瀬峠),石川県鷲走ヶ岳,同宝達山や(図13),東北地方秋田県の日本海側(男鹿半島など),北海道南部の日本海側(茅沼,ペンナイなど)で発見された.特に北朝鮮吉州〜明川郡と日本の北陸地方および北海道南部のものは,「月長石」を含む流紋岩である点で共通している(図12C).
 月長石は真珠と並んで6月の誕生石とされる,ポピュラーな宝石であり,月長石をたくさん含むラルビカイトという暗色の石材は,ノルウェーから大量に輸入されてビルの床や柱の装飾によく用いられる.月長石は,ある角度から太陽光や電灯の光を反射させると,青色,真珠色,稀には赤や黄色に美しく輝き,青色のものは紫陽花(あじさい)の色を思わせる.

(2) 北陸地方の月長石流紋岩  [もどる]
 今から約1700万年前の新生代第三紀中新世には,北陸の大部分は火山地帯だった.臼中や鷲走ヶ岳周辺でも,飛騨片麻岩や恐竜化石を含むことで有名な中生代白亜紀の手取層群の上を,第三紀中新世の厚い火山岩の地層(グリーンタフ)が覆っている.月長石流紋岩はグリーンタフの岩稲累層と手取層群の間に,厚さ約80mの溶結凝灰岩の地層として産する[15].溶結凝灰岩というのは,九州雲仙岳の最近の噴火でも大きな被害をもたらした「火砕流」の堆積物で,つぶれた軽石の破片や三日月型の火山ガラスの破片を多量に含む.その中に月長石や石英のきれいな透明結晶がまばらに含まれている.一部の溶結凝灰岩は全体がガラス質で,黒曜石に似た黒い岩石(真珠岩やピッチストーン)になっている.

(3) 月長石の化学組成  [もどる]
 長石は地球の表面付近にある普通の岩石の中に,最も多量に含まれる鉱物である.長石の主成分元素は珪素,アルミニウム,酸素だが,その他にカルシウム,カリウム,ナトリウムがいろいろな割合で含まれる.カリウムの少ないものを斜長石,カルシウムの少ないものをアルカリ長石という.鷲走ヶ岳の月長石はアルカリ長石の一種で,カルシウムをほとんど含まず,ナトリウムとカリウムがほぼ1:1の割合で含まれる.普通の花崗岩や流紋岩は,水分の多い低温のマグマから形成されるため,ナトリウムの多い斜長石とカリウムの多いアルカリ長石(正長石)の両方を含み,黒雲母や角閃石などの含水鉱物も含むが,鷲走ヶ岳の流紋岩は斜長石を含まず,含水鉱物も含まない.このことは,この流紋岩が水分の少ない高温のマグマから形成されたことを示す.マグマから結晶した当初は均質だったアルカリ長石(サニディン)が,冷却される過程で次第に内部で変化し,ナトリウムに富む層とカリウムに富む層が交互に形成され,一つ一つの層の厚さがほぼ可視光線の波長と等しくなったときに月長石になる.これらの層の表面で反射した光が相互に干渉しあって,青い閃光を発する.このような細かな構造は通常の顕微鏡では見ることができず,高倍率の電子顕微鏡で初めて見ることができる.通常の偏光顕微鏡写真では均質な鉱物にしか見えない.

(4) 北朝鮮の月長石流紋岩  [もどる]
富山県城端町臼中,石川県鳥越村鷲走ヶ岳,同押水町宝達山東麓の月長石流紋岩と同じような,アルカリ長石を含む同じ時代の流紋岩は,秋田県の男鹿半島や北海道南西部,そして九州北部にあり,北朝鮮の咸鏡北道明川郡甑山〜吉州付近に月長石流紋岩が産出することも古くから知られている(図9).日本海岸に近い吉州市及び明川郡付近は,幅25km,長さ80kmほどの北東方向に伸びる第三紀の吉州・明川地溝帯をなし,その大陸側は先カンブリア紀基盤岩と断層で接し,その海側は七宝山地塁のジュラ系と断層で接する(図9).月長石流紋岩やアルカリ玄武岩,粗面岩・粗面玄武岩・コメンダイト・ミュジアライトなどのアルカリ岩類はこの地溝帯中に産する.春本[9]によると,アルカリ玄武岩の時代は漸新世から洪積世後期にわたり,アルカリ量(Na2O+K2O)は,SiO2=48重量%のもので7.1重量%, SiO2=53重量%のもので10.0重量%といずれもアルカリに富むが,ネフェリンやリューサイトは含まず,ノルムネフェリンも計算されず,隠岐島や鬱陵島のものと比べてシリカ飽和度が高い.かんらん石に富むものが多いが,ピジョン輝石や紫蘇輝石を含みノルム石英が計算されるソレイアイト的なものもある.鉄/マグネシウム比(FeO*/MgO)が2.5-3.5と高いものが多く,チタン(TiO2)も1.3〜2.8重量%,リン(P2O5)も0.5-1.2重量%と高い.これらのデータは,日本列島の島弧玄武岩とは異なり,大陸の台地玄武岩や海洋島玄武岩との類似を示す.
 今回,偶然北朝鮮吉州の月長石流紋岩の標本を手に入れることができた.偏光顕微鏡で観察すると,北陸のものより石英や月長石の斑晶量が多く(岩石全体の50%に達する),斜長石が非常に少ない点は共通しているが,北朝鮮のものはアルカリ角閃石やアルカリ輝石を少量含んでいる点で北陸のものと異なる.

図14.北陸地方と朝鮮半島北部の月長石流紋岩のシリカ量(重量%)とジルコニウム量(ppm:百万分の1単位).月長石を含まない通常の流紋岩と比較して示す. (拡大図


(5) 月長石流紋岩の化学組成  [もどる]
 地球上の岩石の主成分はシリカ(SiO2)であり,この成分が純粋に結晶化したものが石英(水晶)である.流紋岩はシリカが70%以上含まれているため,ガラス質のもの(黒曜石)以外は白い色をしている.流紋岩のマグマは,もともと地下で玄武岩のマグマ(SiO2=50%)からカンラン石のようにシリカが少ない(SiO2=40%)鉱物が結晶して沈澱し,残りの液体にだんだんシリカが濃集して形成される.この時,結晶に取り込まれにくい他の元素もシリカとともに濃集する.ジルコニウム(Zr)はそのような元素の代表で,あまり濃度が高くなるとジルコンという鉱物として結晶する. 北陸地方の月長石流紋岩と月長石を含まない流紋岩,及び北朝鮮の月長石流紋岩のシリカとジルコニウムの量を,金沢大学の蛍光X線分析装置で測定した結果を図14に示す.北陸の月長石流紋岩は他の月長石を含まない流紋岩と比べて,シリカ(SiO2)の量は同じなのに,ジルコニウムの量が多く,中でも鷲走ヶ岳のものが最も多い.ジルコニウムが多い流紋岩は,大陸の地溝帯によくみられ,北朝鮮の吉州―明川地溝帯のものは,900 ppmに達するジルコニウムを含む(図14).北陸の月長石流紋岩のジルコニウム量は,これに比べると半分ほどだが,日本の流紋岩としては非常に多く,日本海拡大に伴う地溝帯マグマ活動の影響が日本側にも及んでいた証拠と考えられる.
 今回の北朝鮮月長石流紋岩の分析値は,冨田[69]が報告した甑山(シルサン)の分析値とほぼ同様であり,北陸のものよりチタン(TiO2),アルミ(Al2O3),鉄(FeO),カルシウム(CaO)に富み,ややシリカ(SiO2)に乏しい.アルカリ(Na2O, K2O)の量は北陸のものと同じか,やや多い.希土類元素パターンは鷲走ヶ岳のものより軽希土/重希土比が大きく,軽希土には富むが,重希土は少ない.そしてユーロピウム(Eu)異常の程度は鷲走ヶ岳のものより小さい.このように,同じ月長石流紋岩でも,北朝鮮のものの方がよりアルカリ岩的であり,日本海の両側に全く同じ性質の火山噴出物が残されているわけではない.

(6) 月長石流紋岩の同位体年代  [もどる]
 石田ほか[15]がストロンチウム同位体法を用いて月長石流紋岩の年代を測定したところ,約1950万年(±60万年)のアイソクロン年代が得られた.これは月長石流紋岩の火砕流体積物が熱水変質を受けて,ガラス質部分と結晶質部分の間にRb/Sr比の大きな差が生じた時の年代と解釈され,火砕流の噴出年代はそれ以前である.この数字は,岩稲累層の下位にあるという地層の層序関係と矛盾しない.また,富山県の臼中月長石流紋岩のジルコン・フィッショントラック年代は22.2±2.9Ma, 23.7±2.9Ma [8]及び 25.0±1.0 Ma [46]であり,月長石を用いたK-Ar年代は24及び 25 Maである[76].雁沢[8]による臼中の年代値には我々の鷲走ヶ岳の値と誤差の範囲内で一致するものがあるが,臼中の他の年代値は鷲走ヶ岳よりやや古く24 Ma前後を示す.

(7) 月長石流紋岩のまとめ  [もどる]
 このように,北陸の月長石流紋岩に類似する鉱物・化学組成をもつ流紋岩は日本海の周囲を取り巻くように分布する(図12C).日本海は2500万年前頃にできはじめ,1500万年前頃に急速に拡大して,それまで大陸の一部だった日本が東へ移動し,現在のような弧状列島になったと考えられている.月長石流紋岩はその噴出年代や化学組成の特徴から見て,日本海のできはじめの頃に大陸を割り裂く地溝帯の火山活動の一環として形成されたものと考えられる.紫陽花のような美しい月長石の光は,このような日本列島の誕生の秘密,壮大な地球の営みを,私たちに語りかけている.

6.日本海拡大中〜拡大後に活動したグリーンタフとその他の火山岩  [もどる]

(1)北陸地方のグリーンタフ
 グリーンタフは,一般には第三紀中新世前期〜中期の海底で噴出し,熱水変質を受けて緑色(ないし雑色)を呈する火山岩を主とする地層のことを言い,北陸地方を始め北海道から山陰の日本海岸沿いとフォッサマグナ地域に分布する.一般にこの地層の下部は安山岩・玄武岩を主体とし(岩稲累層など),上部は流紋岩・デイサイトを主体とする(医王山累層など).北陸では,この地層が福井市周辺から金沢市・富山市の南方を通って立山町付近まで細長く分布し,能登半島北部一帯にも広く分布する(図13).この地層は,月長石流紋岩の噴出後,日本海の拡大が始まった20Ma頃から日本海の拡大が一段落した15Ma頃までに,その主体が形成されたが,能登半島北部や山陰地方,飛島,男鹿半島などには25-30Ma頃の年代を示す火山岩類も多く,福井県北部〜石川県南部や東北地方では13〜12Ma頃にも玄武岩が噴出している.従って,年代的には,月長石流紋岩の活動時期はグリーンタフ火山岩類の活動期間の中に完全に含まれてしまう.しかし,北陸のグリーンタフが月長石流紋岩を覆っていることは事実で,月長石流紋岩がグリーンタフの間に挟まれるわけではない.
 北陸のグリーンタフ火山岩を分析すると,すべて微量元素組成にニオブ(Nb)の負異常をもち,基本的に島弧マグマの性質を示す点で共通するが,非常に多様性に富んでいる.例えば,石渡と大浜[20]は北陸地方の岩稲累層中の,肉眼的にはどれも同じに見える「輝石玄武岩岩脈」を選んで広域的に研究し,西から東へ非常にカリウムに富むショショナイト系列のものから,非常にカリウムの少ないソレイアイト系列,そしてカルクアルカリ系列のものへと移り変わることを見出した.能登半島の能都・内浦地域ではソレイアイト玄武岩,カルクアルカリ安山岩,そして高マグネシア安山岩(古銅輝石安山岩)が産し,この順に下から上へ重なっている[40].高マグネシア安山岩は柳田地域[10], 輪島地域[75],そして舳倉島・七ツ島[55]にも見られ,能登半島全体に広がっている.また,最も内陸側の福井県九頭竜川上流地域には,荒島岳コールドロンが存在し,環状に分布する約20Maの玄武岩〜安山岩類を18Maの石英モンゾ閃緑岩が貫いている[68].これらの火山岩・深成岩は中カリウムのカルクアルカリ系列に属し,ストロンチウム(Sr)の同位体初生比は0.7055程度であるが,一部の岩石には同位体比とSr量の間に顕著な相関が見られ,島弧的なアルカリに富む玄武岩マグマと海嶺玄武岩(MORB)的なマグマとの混合の痕跡がある[68].

(2)日本のグリーンタフのもとになったマントル物質の時間変化  [もどる]
 日本列島日本海側の火山岩類のSr同位体比を30Maから現在まで検討すると,15Ma前より古いものでは,飛島の「海嶺玄武岩」(29Ma)[61]も含めてSr同位体比が0.7041-0.7055と高いが,それより新しいものでは0.7029-0.7040と低くなる[50,62,63].これに対応して,ネオジム(Nd)同位体比は時代とともに高くなり,海嶺玄武岩の値に近づく[50].日本海海底における国際深海掘削計画第127航海, 794地点(秋田沖), 795地点(北海道沖)および797地点(大和堆南縁)から得られた堆積物中の玄武岩岩床の40Ar-39Arプラトー年代は18-21Maに集中し[25],SrとNdの同位体比は陸上の15Ma以前の火山岩のものと同様である[51, 84].ただし,堆積物の最上部から得られた玄武岩は海嶺玄武岩に近い同位体組成を持つ.マグマの同位体比は結晶分化作用によっては変化せず,Sr同位体比が高い地殻物質の同化作用や海水による変質などが無視できれば,マグマの起源となったマントルそのものの同位体組成を表わす.即ち,これら火山岩類の同位体比のデータは,日本海とその周辺地域全体で,15Ma前後を境に同位対比の低いマントル物質からマグマが形成されるようになったこと,つまり海嶺下のマントルに類似したマントル物質が,日本海拡大に伴って,日本海の下に湧き上がってきたことを暗示する.

(3)沿海州北部の「グリーンタフ」  [もどる]
 岡村ほか[52]は沿海州地域から多数の新生代火山岩のK-Ar年代を報告し,次のようなまとめを行った.前節で述べた白亜紀〜古第三紀の活動的大陸縁のマグマ活動に引き続いて,24-17Maの時期に日本海拡大に関連して多量の火山岩が沿海州北部(サハリン対岸)の海岸沿いの地域に噴出した.これは日本東北地方〜北海道のグリーンタフの北方延長に当たる.その後,13Ma頃までマグマ活動は休止していたが,12-5Maに沿海州全体にわたる大陸性アルカリ玄武岩マグマの活動が起こった.なお,この活動は後述のように中国東北部,朝鮮半島,そして西南日本にも及んでいる.
 島津と川野[60]は沿海州北部の新生代火山岩について地球化学的研究を行い,始新世(39Ma)の火山岩は大陸リフト帯型だが,漸新世前期(34Ma)〜中新世前期(17Ma)の火山岩は島弧型の玄武岩やショショナイトであり,30Ma前後を境としてSr同位体比が0.7040以下に減少し,Nd同位体比が増加した(つまり,より涸渇したマントルになった)ことを明かにした.この変化は,前述のように,日本ではもっと遅れて15Ma前後に起こった.

(4)マントル捕獲岩を含むアルカリ玄武岩   [もどる]
 また,沿海州から中国東北部,朝鮮半島に分布する12Ma以後のアルカリ玄武岩には,マントル起源捕獲岩が含まれるが[2,5,14],日本の中国地方〜北九州地方にも,同様にマントル捕獲岩を含む同じ時期のアルカリ玄武岩火山が多数存在する[2]図12D).これらは,日本海拡大終了後のマントルからの上昇流(プルーム)の活動によると考えられている[23].

(5)日本と沿海州の中・新生代マグマ活動のまとめ   [もどる]
 図12に示すように,白亜紀〜古第三紀に幅広い大陸縁火山帯を作っていた日本〜沿海州地域は,沿海州北部では始新世(40Ma前後),日本では(恐らく朝鮮半島北部でも)中新世初期(25Ma前後)に,月長石流紋岩に代表されるリフト帯火山活動が起こった.陸弧あるいは島弧火山活動の性格をもつ,日本のグリーンタフに相当する火山岩類は,沿海州北部では34Ma〜17Ma頃に活動したが[60],北朝鮮や沿海州南部からはほとんど報告されていない.つまり,日本海は,活動的大陸縁の火山帯の背後に形成された断裂帯(背弧リフト帯)が拡大したものと考えられる.そして,日本海形成後,それをとりまく沿海州・中国東北部・朝鮮半島・西南日本などにマントル・プルームが上昇し,マントル捕獲岩を含むアルカリ玄武岩の火山が多数形成されたが,プレート沈み込みに伴う島弧マグマの活動は,大陸地域では終息し,琉球・日本・千島などの列島でのみ行われるようになった.

7.全体のまとめ  [もどる]

 日本海が拡大した約25-15Maより以前に形成された古い地質構造は,西南日本内帯からロシア沿海州へ連続しているように見える.古生代後期〜三畳紀の「陸棚相」堆積物やジュラ紀〜白亜紀付加体堆積物の岩相・年代・産出化石の類似が,これまで多くの研究によって明かにされてきた.小論では主に古生代オフィオライトと高圧型変成岩の類似性について検討したが,沿海州のセルゲーエフカ・オフィオライトがシャイギンスキー青色片岩を挟んでサマルカ帯のジュラ紀付加体に衝上する関係は,年代的には若干の違いがあるものの,大江山オフィオライトが蓮華変成岩を挟んで丹波帯のジュラ紀付加帯に衝上する関係と非常によく似ている.沿海州地域には夜久野オフィオライト相当のオフィオライトは年代学的にまだ確認されていないが,サマルカ帯に衝上するビキン・オフィオライトやカリノフカ・オフィオライトの一部は,岩相的類似からそれに相当する可能性が高い.古生代後期の蓮華―シャイギンスキー高圧型変成帯は,同時期に形成された中国蘇魯超高圧変成帯の東方延長の可能性があり,その場合,その延長線(プレート収束境界)は従来考えれれていたように朝鮮半島を通るのではなく,半島の南方を迂回し,恐らく石垣島の同時期の高圧型変成岩を含む入り組んだ経路を通った可能性が高い.
 中新世前期の日本海形成時のリフト活動に関連すると考えられるアルカリ火山岩類は北朝鮮の吉州・明川地溝帯によく発達するが,日本側でも大陸リフト帯マグマの性質を示す月長石流紋岩が北陸地方などに産出する.日本海拡大と前後して始まったグリーンタフ火山活動は基本的に陸弧ないし島弧の火山活動であり,日本から沿海州北部にかけて発達するが,北朝鮮や沿海州南部にはほとんど見られない.これらの地域では,火山岩の同位体組成からみて,第三紀のある時期を境に,起源マントルが大陸下マントルから海洋下マントルへと変化してきており,これは日本海や日本列島の下のマントル物質そのものが時代とともに移動して入れ替わったことを示唆する.日本海の拡大はこのような大規模なマントルの運動と関連して起こったのであろう.

【文献】(第1著者のABC順) [もどる]
[1] Ames, L., Tilton, G.R., Zhou, G., 1993, Timing of collision of the Sino-Korean and Yangtse cratons: U-Pb zircon dating of coesite-bearing eclogites. Geology, 21, 339-342.
[2] Arai, S., Hirai, H. and Uto, K., 2000, Mantle peridotite xenoliths from the Southwest Japan arc: a model for the sub-arc upper mantle structure and composition of the Western Pacific rim. J. Min. Petr. Sci., 95, 9-23.
[3] Banno, S., 1958, Glaucophane schists and associated rocks in the Omi district, Niigata Prefecture, Japan. Japan. Jour. Geol. Geogr., 29, 29-44.
[4] Chinzei, K., 1991, Late Cenozoic zoogeography of the Sea of Japan area. Episodes, 14, 231-235.
[5] 鄂莫嵐・趙大升, 1987, 中国東部新生代玄武岩及深源岩石包体(中国語).科学出版社, 490 p.
[6] Ernst, W.G., Liou, J.G., 1995, Contrasting plate-tectonic styles of the Qinling- Dabie-Sulu and Franciscan metamorphic belts. Geology, 23, 353-356.
[7] Faure, M., Monie, P. and Fabbri, O., 1988, Microtectonics and 39Ar-40Ar dating of high pressure metamorphic rocks of the south Ryukyu arc and their bearings on the pre-Eocene geodynamic evolution of Eastern Asia. Tectonophysics, 156, 133-143.
[8] 雁沢好博, 1983, フィッション・トラック法によるグリーン・タフ変動の年代区分.その2―富山県太美山地域―.地質学雑誌,89, 271-286.
[9] 春本篤夫, 1958, 朝鮮吉州明川地域の玄武岩.鈴木醇教授還暦記念論文集,227-237.
[10] 保科 裕, 1984, 能都半島北部の新第三紀火山岩類:特に無斑晶質安山岩について.地質学論集, no. 24, 49-58.
[11] 橋本光男,1985,日本の藍閃変成帯の2つの型.岩鉱,80,113-117.
[12] Herzig, C.T., Kimbrough, D.L. and Hayasaka, Y., 1997: Early Permian zircon uranium-lead ages for plagiogranites in the Yakuno ophiolite, Asago district, Southwest Japan. The Island Arc, 6, 396-403.
[13] Hiroi, Y., 1981, Subdivision of the Hida metamorphic complex, Central Japan, and its bearing on the geoogy of the Far East in pre-Sea of Japan time. Tectonophysics, 76, 317-333.
[14] Ionov, D.A., Prikhod'ko, V.S. and O'Reilly, S.Y. 1995, Peridotite xenoliths in alkali basalts from the Sikhote-Alin, southeastern Siberia, Russia: trace-element signatures of mantle beneath a convergent continental margin. Chemical Geology, 120, 275-294.
[15] 石田勇人・石渡 明・加々美寛雄, 1998, 新第三系北陸層群の鷲走ヶ岳月長石流紋岩質溶結凝灰岩.地質学雑誌, 104, 281-295.
[16] 石渡 明, 1989, 日本のオフィオライト.地学雑誌,98,290-303.
[17] 石渡 明, 1993, 東アジアのオフィオライト.北陸地質研究所報告,no. 3, 1-31.
[18] 石渡 明, 1994, シホテアリンのオフィオライト.岩鉱, 89, 138. (要旨)
[19] 石渡 明, 1999, 西南日本内帯の古生代海洋性島弧地殻断片:兵庫県上郡変斑れい岩体.地質学論集, 52, 273-285.
[20] 石渡 明・大浜 啓, 1997, 北陸地方の中新統岩稲累層中の単斜輝石玄武岩脈:ショショナイト系列を含む多様な陸弧マグマと単斜輝石斑晶の成因.地質学雑誌, 103, 565-578.
[21] 石渡 明・辻森 樹, 1999, ロシア沿海州の古生代青色片岩.地学雑誌, 108(2), 口絵3.
[22] Isozaki, Y., 1996, Anatomy and genesis of a subduction-related orogen: A new view of geotectonic subdivision and evolution of the Japanese Islands. The Island Arc, 5, 289-320.
[23] Iwamori, H., 1991, Zonal structure of Cenozoic basalts related to mantle upwelling in southwest Japan. J. Geophys. Res., 96, 6157-6170.
[24] Kaneoka I., 1990, Radiometric age and Sr isotope characteristics of volcanic rocks from the Japan Sea floor. Geochemical Journal, 24, 7-19.
[25] Kaneoka, I., Takigami, Y., Takaoka, N., Yamashita, S., Tamaki, K. 1992, 40Ar-39Ar analysis of volcanic rocks recovered from the Japan Sea floor: Constraints on the age of formation of the Japan Sea. In: Tamaki, K. et al. "Proceedings of the Ocean Drillling Program, Scientific Results", vol. 127/128, part 2, 819-836. ODP, College Station, Texas.
[26] 竃義夫 1982, 日本海地域の地質学的諸問題. 星野通平・柴崎達雄編「日本海の地質」p. 3-20. 東海大学出版会.
[27] Kemkin, I.V. and Khanchuk, A.I. 1994, Jurassic accretionary prism in the southern Sikhote Alin. Geology of the Pacific Ocean, 10, 831-846.
[28] Khanchuk, A.I. and Panchenko, I.V., 1991, Garnet gabbro in the southern Sikhote Alin ophiolites. Dokl. Akad. Nauk SSSR, 321, 800-803. (in Russian)
[29] Khanchuk, A.I., Ratkin, V.V., Ryazantseva, M.D., Golozubov, V.V. and Gonokhova, N.G. 1996: Geology and Mineral Deposits of Primorskiy Krai. Dalnauka, Vladivostok. 61 p.
[30] 小林貞一, 1951, 日本地方地質誌総論―日本の起源と佐川輪廻―.朝倉書店 353 p.
[31] 小林貞一, 1952, 奥陶紀.小林貞一ほか「地史学」,上巻,p. 107-128.朝倉書店.
[32] 小林貞一, 1967, オルドビス紀.浅野清ほか「改訂新版地史学」上巻,p.128-143.朝倉書店
[33] Kojima, S., 1989, Mesozoic terrane accretion in Northeast China, Sikhote-Alin and Japan regions. Palaeogeogr. Palaeoclimat. Palaeoecol., 69, 213-232.
[34] 小松正幸・山崎哲夫,1981,八方尾根地域の変成岩に関する新知見−堆積性蛇紋岩,エクロジャイト,ヒスイ輝石-石英の組み合わせをもつ岩石について−.飛騨外縁帯,no. 2,1-11.
[35] Kovalenko, S.V. and Davydov, I.A. 1991, Sergeevskiy Massif: A very old structure in southern Sikhote Alin. Dokl. Akad. Nauk. SSSR, 319, 1173-1177. (in Russian)
[36] Kovalenko, S.V. and Khanchuk, A.I., 1991, First find of glaucophane schist in Sikhote Alin. Dokl. Akad. Nauk. SSSR, 318, 692-694. (in Russian)
[37] 栗本史雄・牧本博, 1990, 福知山地域の地質.5万分の1地質図幅及び説明書. 地質調査所.
[38] Leg 127 and Leg 128 shipboard scientific parties, 1990, Evolution of the Japan Sea. Nature, 346, no. 6279, 18-20.
[39] Li Suguang, Xiao Yilin, Liou Delaing, Chen Yizhi, Ge Ningjie, Zhang Zongqing, Sun Shensu, Cong Bolin, Zhang Ruyuang, Hart, S.R. and Wang Songshan 1993: Collision of the North China and Yangtse blocks and formation of coesite-bearing eclogites: Timing and processes. Chemical Geology, 109, 89-111.
[40] Lopez, J.C. and Ishiwatari, A. 1999, Oligo-Miocene tholeiitic basalt, calc-alkaline, and bronzite andesite lavas in Uchiura, Noto Peninsula, central Japan: geologic and petrologic relationship. 日本岩石鉱物鉱床学会1999年度学術講演会(水戸)要旨,p. 149.
[41] Matsuda, T., Sakiyama, T., Enami, R., Otofuji, Y., Sakhno, V. G., Matunin, A. P., Kulinich, R. G. and Zimin, P. S., 1998, Fission-track ages and magnetic susceptibility of Cretaceous to Paleogene volcanic rocks in southwestern Sikhote Alin, Far East Russia. Resource Geology, 48, 285-290.
[42] 松田高明・先山 徹・Kulinich, R. G.・Sakhno, V. G.・乙藤洋一郎, 2000, 東アジアの白亜紀〜古第三紀火成活動.地団研第54回総会(鶴見)要旨集,17-18.
[43] Min, K., Cho, M., 1998, Metamorphic evolution of the northwestern Ogcheon metamorphic belt, South Korea. Lithos, 43, 31-51.
[44] Mishkin, M.A., Lelikov, E.P. and Ovcharek, E.C., 1970, New evidence of metamorphic rocks on the Japan Sea coast of southern Primorye. Dokl. Akad. Nauk SSSR, 190, 1426-1429.
[45] Mizutani, S. and Yao, A., 1998, Radiolarians and terranes: Mesozoic geology of Japan. Episodes, 14, 213-216.
[46] 中島正志・森本祐一郎・鈴木由紀江・渡邊勇・三浦静, 1983, 福井県第三系のフィッショントラック年代.福井大学教育学紀要(II), 33, 53-65.
[47] 中水 勝・岡田昌治・山崎哲夫・小松正幸, 1989, 飛騨外縁帯,青海-蓮華メランジの変成岩類.地質学論集,no. 33,21-35.
[48] Nakazawa, K., 1958, The Triassic system in the Maizuru zone, Southwest Japan. Mem. Coll. Sci., Univ. Kyoto, Ser. B, 24, 285-313.
[49] 西村祐二郎・松原康・中村栄三 1983: 八重山変成岩類の変成分帯とK-Ar年代.地質学論集,22, 27-37.
[50] Nohda, S., Tatsumi, Y., Otofuji, Y., Matsuda, T. and Ishizaka, K. 1988, Asthenospheric injection and back-arc opening: isotopic evidence from Northeast Japan. Geochem. Jour., 68, 317-327.
[51] Nohda, S., Tatsumi, Y., Yamashita, S., Fujii, T., 1992: Nd and Sr isotopic study of Leg 127 basalts: implications for the evolution of the Japan Sea basin. In: Tamaki, K. et al. "Proceedings of the Ocean Drilling Program, Scientific Results", Vol. 127/128, Part 2, 899-904. ODP, College Station, Texas.
[52] Okamura, S., Martynov, Y.A., Furuyama, K. and Nagao, K., 1998, K-Ar ages of the basaltic rocks from Far East Russia: Constraints on the tectono-magmatism associated with the Japan Sea opening. The Island Arc, 7, 271-282.
[53] Ree, J.-H., Cho, M., Kwon, S.-T. and Nakamura, E., 1996, Possible eastward extension of Chinese collision belt in South Korea: The Imjingang belt. Geology, 24, 1071-1074.
[54] 佐野 栄, 1992, シルル紀の年代を示す夜久野変ハンレイ岩類のNd同位体組成.岩鉱, 87, 272-282.
[55] 佐藤博明・山崎正男・竃義夫・清水智・板谷徹丸, 1989, 石川県舳倉島および七ツ島産古銅輝石安山岩.佐藤博明,科学研究費補助金一般C研究成果報告書(No. 61540593)「高マグネシア安山岩類の生成環境に関する研究」,p. 53-74.,および白木敬一,科学研究費補助金総合研究(A)研究成果報告書(No. 61302027)「島弧における高マグネシア安山岩の地質学的岩石学的研究」,p. 163-166.
[56] 佐藤興平・石原丈実・Vrublevsky, A. A.・石原舜三,1993, Sikhote-Alin南部の磁気異常分布と火成岩類,地質ニュース, no. 470, 18-28.
[57] 佐藤興平・Lavrik, N. I.・Vrublevsky, A. A., 1993, Sikhote-Alinの地質と鉱床.地質ニュース, no. 468, 16-26.
[58] 佐藤興平・根建心具・S.V.コバレンコ・A.A.ブルブレフスキー・N.P.ロマノフスキー・A.I.ハンチュク, 2000, ロシア極東シホテアリン地域の花崗岩類と鉱化作用.地団研第54回総会(鶴見)要旨集,15-16.
[59] Shcheka, S.A., Vrzhosek, A.A. and Taskaev, V.I. 1993, The new occurrence of rare Mn-Cr spinellide. Dokl. Akad. Nauk Russia, 332, 356-359. (in Russian)
[60] Shimazu, M. and Kawano, Y., 1999, Petrochemistry and tectonic setting of the Tertiary volcanic rocks from North Sikhote Alin. J. Min. Petr. Econ. Geol., 94, 145-161.
[61] 周藤賢治 1988, 日本海東縁の飛島に産する中新世深海底ソレイアイト型玄武岩.岩鉱, 83, 267-272.
[62] 周藤賢治・大木淳一・山本和広・渡部直喜, 1995, 陸弧火山活動から島弧火山活動へ―東北日本弧第三紀火山活動の時間変遷―.地質ニュース, no. 464, 6-18.
[63] Shuto, K., Ohki, J., Kagami, H., Yamamoto, M., Watanabe, N., Yamamoto, K., Anzai, N., Itaya, T.,1993,The relationship between drastic changes in Sr isotopic ratios of magma sources beneath the NE Japan arc and the spreading of the Japan Sea back-arc basin. Mineralogy and Petrology, 49, 71-90.
[64] 鈴木和博・足立 守・加藤丈典,1999, コリア半島南部の基盤岩類のCHIME年代.日本地質学会第106年学術大会(名古屋)講演要旨, p. 7.
[65] Taira, A. and Ogawa, Y., 1991, Cretaceous to Holocene forearc evolution in Japan and its implication to crustal dynamics. Episodes, 14, 205-212.
[66] Tamaki, K. and Honza, E., 1991, Global tectonics and formation of marginal basins: Role of the western Pacific. Episodes, 14, 224-230.
[67] 寺岡易司・鈴木盛久・川上久美, 1998, 西南日本中軸帯の白亜紀―古第三紀堆積物の供給源.地調月報, 49, 395-411.
[68] 冨岡伸芳・石渡 明・棚瀬充史・清水 智・加々美寛雄, 2000, 福井県大野市,前期中新世荒島岳コールドロンの地質と岩石.地質学雑誌, 106(5), 313-329.
[69] Tomita, T., 1935, On the chemical compositions of the Cenozoic alkaline suite of the circum-Japan Sea region. J. Shanghai Sci. Inst., Sec. II, 1, 227-306.
[70] 辻森 樹,1998,中国山地中央部,大佐山蛇紋岩メランジュの地質:大江山オフィオライトの下に発達した320Ma青色片岩を含む蛇紋岩メランジュ.地質学雑誌, 104, 213-231.
[71] Tsujimori, T., Ishiwatari, A. and Banno, S., 2000, Discovery of eclogitic glaucophane schist from the Omi area, Renge metamorphic belt, the Inner Zone of southwestern Japan. Jour. Geol. Soc. Japan, 106, I-II.
[72] 辻森 樹・石渡 明・坂野昇平, 2000, 西南日本内帯蓮華変成帯,青海町湯ノ谷のエクロジャイト質藍閃石片岩について.地質学雑誌, 106(5) (印刷中).
[73] 辻森 樹・石渡 明・板谷鉄丸・S.V.ヴィソツキー・S.V.コバレンコ・A.I.ハンチューク, 1999, ロシア沿海州の250-230Ma藍閃変成帯は中朝地塊―揚子地塊衝突帯の東方延長か? 日本地質学会第106年学術大会(名古屋)講演要旨, p. 213.
[74] Tsujimori, T. and Itaya, T., 1999, Blueschist-facies metamorphism during Paleozoic orogeny in southwestern Japan: phengite K-Ar ages of blueschist-facies tectonic blocks in a serpentinite melange beneath Early Paleozoic Oeyama ophiolite. The Island Arc, 8, 190-205. 
[75] 上松昌勝・周藤賢治・加々美寛雄, 1995, 能登半島北部漸新統穴水累層に産するソレイアイト質玄武岩,高マグネシア安山岩,古銅輝石安山岩およびアダカイト様安山岩の成因. 地質学論集, no. 44, 101-124.
[76] 植田良夫・青木謙一郎, 1970, 富山県西部に分布する月長石流紋岩のK-Ar年代.岩鉱,63, 28-29.
[77] Uyeda, S., 1991, The Japanese island arc and the subduction process. Episodes, 14, 190-198.
[78] Vysotskiy, S.V., 1994, High and low pressure cumulates of Paleozoic ophiolites in Primorye, eastern Russia. In: Ishiwatari, A. et al. (eds) "Circum‐Pacific Ophiolites (Proc. 29th Int'l Geol. Congr, Part D)," p. 145-162. VSP, The Netherlands.
[79] Vysotskiy, S.V., Shcheka, S.A., Nechaev, V.P. and Golozubov, V.V. 1995: Paleozoic Ophiolites of Primorye. Far East Geol. Inst., Vladivostok. 10 p.
[80] Wang, F. and Chen N., 1996, Regional and thermodynamic metamorphism of the Western Hills, Beijing. 30th Int'l. Geol. Congr., Field Trip Guide, T208, 10 p.
[81] Willis, B. and Blackwelder, E., 1907, Research in China. Washington.
[82] 山口貴雄 1951, 所謂漣川系とそのRegional Metamorphismについて.地質雑, 57, 419-437.
[83] 山北聡・大藤茂, 1999, 日本海形成前の日本とロシア沿海州との地質学的連続性.富山大学環日本海地域研究センター研究年報,no. 24, 1-16.
[84] 山下 茂, 1992, ODP Leg 127日本海の基盤掘削:日本海拡大にともなう玄武岩マグマ活動とウェッジマントル物質の運搬.月刊地球,号外, no. 6, 229-232.
[85] Zakharov, T.D., Panchenko, I.V. and Khanchuk, A.I., 1992, A field guide to the Late Paleozoic circum-Pacific bio- and geological events (International Field Conference on Permian-Triassic Biostratigraphy and Tectonics (Sep. 6-12, 1992)). Far-East Geological Inst., Russian Academy of Sciences. 86 p.


【文献の補遺】
[86] Miyazawa, T., 1985, Regional lateral zoning of the Mesozoic to Early Tertiary endogenic lead-zinc and copper deposits in East Asia and its geological background, with some comments on the drifting of the Japanese Islands. Mining Geology, 35, 31-39.
[87] 辻森樹・仁科克一・石渡明・板谷徹丸, 2000, 西南日本内帯大江山地域の普甲峠変成沈積岩に産する4〜4.4億年含藍晶石緑れん石角閃岩.地質学雑誌, 106, 646-649.

【追加文献】
石渡 明・市山祐司. 2003. 夜久野岩類.夜久野町史(印刷中).
Ichiyama, Y. and Ishiwatari, A. 2003. Evidence for N-MORB off-ridge magmatism: A troctolitic intrusion in the Yakuno ophiolite in the Yakuno area, Kyoto Prefecture, Japan. The Island Arc (in submission).


2003年01月31日作成,2003年04月26日更新

[もどる]