1993年2月7日 能登半島沖地震

 被害状況調査報告

1993年2月11日調査(金沢大学理学部 河野芳輝・石渡 明)


地震の概要

(1993年版「石川県災異誌」にもとづく)

 1993年2月7日22時27分,能登半島北方沖を震源とするマグニチュード6.6の地震が発生.輪島で震度5,金沢,富山で震度4を観測し,北陸を中心に東北から中国地方までの広い範囲で揺れを感じた.気象庁は22時37分に新潟県から福井県までの海岸に津波注意報を発表したが,23時30分に解除した.輪島での震度5は観測史上初めて,金沢の震度4は1948年の福井地震以来であった.震源地に近い珠洲市 では場所によって震度6に達していた可能性があり,被害は同市を中心に発生した.裏山の崩土による神社の本殿・拝殿の倒壊のほか,住宅の損壊22棟,木ノ浦トンネルの崩落など道路被害141箇所,陥没した道路へ車が突っ込んで運転者がケガをしたのをはじめ屋内で29名が転倒物や落下物によって負傷したが,幸い死者はなかった.また,水道管の破損により断水した家屋が2,300棟を超えた.この地震による被害総額は約41億円にのぼった.


【備考】

 能登半島沖地震以後の石川県内の主な地震は次の通り.1995年1月17日5時46分,兵庫県南部地震(阪神大震災),石川県でも震度3.1996年2月7日10時33分,福井県嶺北地方を震源とするマグニチュード5.0の地震.加賀市で震度4.被害なし.2000年6月7日6時16分,石川県南部沖を震源とするマグニチュード5.8の地震.小松で震度5弱.美川・根上・辰口で震度4,金沢などで震度3.小松で負傷者3人,都市ガス,鉄道など一時停止

 また,はっきりした地震被害の記録がある江戸時代(1600年)以後で,石川県内の地震被害が最も大きかったのは1948年の福井地震(福井県で死者3728名,石川県で41名)であるが,能登半島では過去に津波による大きな被害を受けている.1833年12月7日の新潟県沖を震源とする地震津波では,能登で流出家屋345戸,死者約100名の被害があった.1964年の新潟地震,1983年の日本海中部地震,1993年の北海道南西沖地震などでも,能登に津波が押し寄せており,今後も津波には十分注意する必要がある.


図1.能登半島及び周辺海域の地形図.能登半島沖地震の震源地と本報告で写真を掲載する地点を矢印で示す.


図2〜4 珠洲市木ノ浦の地震計記録と木ノ浦トンネルの崩落

図5 珠洲岬の狼煙(のろし)の土産物屋付近の被害

図6〜7 珠洲市正院町飯塚の火宮神社の本殿・拝殿の倒壊

図8〜9 珠洲市正院町正院,須受神社の鳥居の倒壊

図10〜11 珠洲市正院町正院,市営住宅の地盤被害

図12〜14 珠洲市正院町正院,西光寺墓地の墓石等の被害

図15〜17 珠洲市飯田町春日神社の鳥居等の被害

図2.木ノ浦に設置された京都大学防災研究所の地震計がとらえた能登半島沖地震の 余震の地震波の波形.中央の黄色枠内のペンレコーダーから出力された紙に,3本の細い縦線が描かれているが,その線が太くなっている部分が地震の記録.
 

図3.崩落によって通行止めになった木ノ浦トンネル.
 

図4.木ノ浦トンネル内の 崩落現場.トンネルの天井が崩落し,その下にくずれた岩石が堆積している.

図5.狼煙(のろし)の土産物屋の駐車場.歩道が盛り上がって変形しており,一部の自動販売機が転倒している.

図6.裏山の崩土によって本殿・拝殿が倒壊した珠洲市正院町飯塚の火宮神社.
 

図7.倒壊した神社の屋根.

図8.鳥居が倒壊した珠洲市正院町正院の須受八幡神社.鳥居は花崗岩製.
 

図9.鳥居は倒壊したが,その隣の「須受八幡神社」と彫られた標柱は無事であった. その後ろの灯篭は,頂部の小さい飾り石だけが落下した.

図10.正院町正院の市営住宅における側溝の破壊の様子.
 

図11.市営住宅のコンクリート舗装の破壊やコンクリート構造物の傾動. 側溝付近の白い物質は雪. 家屋と舗装の境界に沿って褐色の砂が浸出しており,砂質の地盤が液状化したことがわかる.

図12.珠洲市正院町正院の西光寺の墓地における石積み構造物の変形.
 

図13.地震による墓石の転落(西光寺墓地).
 

図14.地震による墓石の変移(西光寺墓地).

図15.珠洲市飯田の春日神社の鳥居の破壊.中央の横木が落下している.左側の灯篭も上部が転落している.
 

図16.珠洲市飯田の春日神社の鳥居と灯篭の被害を別の角度から見る.水路にかかる石橋の欄干も壊れているのがわかる.
 

図17.春日神社境内の石碑の転倒.
 


2005年01月29日作成,2005年01月31日更新

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