第30回IGC(万国地質学会議)北京大会T392祁連山巡検(1996.8.15-21)報告

中国甘粛・青海省境,北祁連山脈のオルドビス紀オフィオライト,藍閃片岩,およびエクロジャイト

石渡 明(金沢大学理学部地球学科)


地質学雑誌, Vol. 102, No. 10, p. XXVII-XXVIII および p. 918 (1996) 掲載 (1996年9月27日受理)

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2006年11月01日作成,2006年11月01日更新


A report of the 30th International Geological Congress (Beijing) T392 Field Trip (15-21 Aug. 1995)

Ordovician ophiolite, blueschist and eclogite in the North Qilian Mountains along the border between Gansu and Qinghai Provinces, China

Akira Ishiwatari (Department of Earth Sciences, Faculty of Science, Kanazawa University, Kakuma, Kanazawa 920-11, Japan)

This article was published in the Journal of the Geological Society of Japan, Vol. 102, No. 10, p. XXVII-XXVIII and p. 918. (accepted on 27 Sep. 1996)



  祁連(チーリェン)山脈は中国でもオフィオライトと藍閃片岩がよく発達し,それらの研究が進んでいる地域の一つである(従他, 1991).祁連山脈はツァイダム盆地とアラシャン山地(中朝地塊の西部)の間にある原生代末期からデボン紀にかけての造山帯(カレドニア期)であり,北から走廊モラッセ帯,北祁連褶曲帯,中央祁連地塊,南祁連褶曲帯に区分される.この巡検では北祁連褶曲帯以北を見た.ここでは古生代前期のオフィオライト,藍閃片岩,花崗岩などが山脈最高部を形成し,その北麓にシルル紀フリッシュ,その北にデボン紀以後の厚いモラッセが分布する(Song, 1996).オフィオライトは3列をなし,カンブリア紀後期からオルドビス紀後期まで,南から北へ形成年代が若くなる傾向がある(Song, 1996).このように北へ若くなる地質ユニットの全体的な配列は,ツァイダム地塊の北への衝上(または中朝地塊の南への沈み込み)による造山運動を暗示するが(王・劉, 1976),花崗岩の分布などを根拠とする北への沈み込み説もある(肖・王, 1984).藍閃片岩は南北2帯に分かれて分布し,南側は変成度が高くエクロジャイトを伴い,北側は変成度が低い.変成年代はどちらも450Ma前後である(Wu et al., 1993).
  この巡検の詳細および引用文献については,本号末尾のニュース記事を参照されたい.
 





第1図.祁連山脈巡検地点とその付近の地質略図(Song,1996に基づき簡略化).数字はその地点を旅行した日付に対応する。
 


第2図.北祁連山脈,甘粛省粛南北方の梨園川左岸の石炭紀石灰岩に見られる,後造山期の南への衝上とそれに伴う横臥褶曲.この場合は衝上断層の上盤側が褶曲している.
 


第3図.同上.この場合は衝上断層の下盤側が褶曲している.

 



第4図.粛南南方の納木橋オフィオライト上部のボニン岩質枕状溶岩.枕の形から,この溶岩層は明らかに逆転している(粛南南方大岔大坂峠道沿い.標高3800m付近).
 


第5図.上と同じ枕状溶岩を貫く平行岩脈群.北東部(層序的に上側)の峠道沿いの岩脈群はボニン岩質だが,南西部(下側)の峠付近の岩脈群はN型海嶺玄武岩質である.
 


第6図.18日の帰路,増水で梨園川を渡れず,やむなく崖を巻き橋に出る迂回路をとり,救援に駆けつけた人民解放軍の兵士や地元民に守られて途中の急流を徒渉する巡検参加者.
 



第7図.標高3400mの清水(チンシュイ)沢に見られるメランジ地形.軟弱な珪質泥岩〜グレイワッケ砂岩起源の藍閃片岩中に含まれるエクロジャイト(まれ),塊状藍閃片岩,大理石,石英片岩,蛇紋岩などの巨大なブロックが、山稜に突き立っている.

 



第30回IGC北京大会T392祁連山巡検(1996.8.15-21)報告

目的: 中国甘粛・青海省境,北祁連山脈のオルドビス紀のオフィオライト,藍閃片岩,
    およびエクロジャイト
案内者:宋述光(Song Suguang) (その後,名のスペルをShuguangに変更)
世話人:鄭金田(Zheng Jintian)・寧志民(Ning Zhimin)・張瑞林(Zhang Ruilin)他
(中国地質砿産部西安地質砿産研究所)
参加者:(ABC順) Harvey E. Belkin(米国・娘同伴),Martin Frey(スイス), 石渡明(日本),Patrick O'Brien(ドイツ・妻同伴),
Robin Offler(オーストラリア),Carlos A. Rosiere(ブラジル), Karl R. Wirth(米国),Henry H. Woodard(米国),以上10名(同伴者含む)


日程:8月15日 北京(Beijing) →蘭州(Lanzhou) (1500km, 飛行機)
8月16日 蘭州(Lanzhou) →張掖(500km, バス)
8月17日 張掖(Zhang'ye)→粛南(バス,シルル紀フリッシュと納木橋Namuqiao
オフィオライト)
8月18日 粛南(Sunan) →粛南(ジープ,擺浪(Bailang)川沿いの低変成度藍閃
片岩,増水事件)
8月19日 粛南(Sunan) →祁連(バス,ジープ.百経寺(Baijingsi)のエクロジャイ
トと高変成度藍閃片岩)
8月20日 祁連(Qilian) →張掖(ジープ,バス.清水(Qingshui)沢のエクロジャイト
と高変成度藍閃片岩)
8月21日 張掖(Zhang'ye)→蘭州(バス,蘭州で解散)
 

内容:
  以下,日程に沿って巡検内容を報告する.なお,地質の概略の説明と略地図(第1図),および写真(第2〜7図)は本号の口絵に掲げたので参照されたい.
  15日14時,黄土高原の中にある蘭州空港に着陸.案内者等の出迎えを受け,バスで70km離れた黄河沿いの蘭州市街へ.蘭州飯店で一泊.
 16日は万里の長城に沿う快適な舗装道路を12時間北西へ進み,張掖に一泊.
 17日は南西へ進み祁連山脈に入る.北部では白亜紀〜第三紀の赤色陸成層が広い谷の両側に露出するが,山脈中央部に入ると,後造山期の南への衝上とそれに伴う横臥褶曲が見られる石炭紀の石灰岩(第2・3図),そして緑色のシルル紀フリッシュが切り立った崖に露出する.粛南から梨園(Liyuan)川沿いに更に南へ向い,標高4200mの峠(省境;大岔Dacha大坂)まで登り,そこでオルドビス紀前期〜中期の納木橋(Namuqiao)オフィオライトを見る.北部に枕状溶岩が,南部には枕状溶岩や塊状ハンレイ岩が多数の玄武岩脈に貫かれる部分が露出している(第4・5図).火山岩の全岩化学組成は北部がボニン岩質,南部が海嶺玄武岩質だが,輝石やスピネルの化学組成の検討は行われていない.火成沈積岩やマントルかんらん岩は道沿いには露出がなく,観察できなかった.より完全な断面が報告されている更に南方のカンブリア紀〜オルドビス紀前期の玉石溝(Yushigou)オフィオライト(肖・王, 1984)も観察できなかった.夜は北麓の粛南裕固族自治県で大歓迎を受けた(但し筆者は高山病にかかり,この日の歓迎会には出席できなかった).
 18日は昨日の峠道の途中から支流の擺浪川に沿って西へ入り,同川左岸の塔dun (Tadun)沢と白水(Baishui)沢の低変成度藍閃片岩を観察した.この藍閃片岩は川沿いに露出するデボン系モラッセと北側の中・下部オルドビス系オフィオライトの間に幅500-1000mの狭い帯状に分布する.藍閃石・ローソン石・パンペリー石・緑泥石・曹長石・石英の組合せで特徴づけられ,霰石・ローソン石・曹長石・石英の組合せも見られる.ほとんど藍閃石とローソン石のみからなる岩石もあり,ルーペで見ると青い藍閃石の間に白い直方体のローソン石が散らばっていて美しい.変形が著しく,閉じた等斜褶曲やクレニュレーションが発達するが,輝緑岩起源の岩石には火成輝石残晶も産する.
  夕方粛南への帰途,擺浪川と梨園川の合流点に差し掛かると,川が増水していて渡れなくなっていた.麓では小雨程度だったが,上流では豪雨だったらしい.同行した警官が対岸のキャンプの住民に通信文を投げて,粛南まで行って救援隊の派遣を要請するよう依頼した(16:30).3時間ほどで約15人の兵隊が到着したが,結局軍のトラックでも渡るのは危険と判断したらしく,梨園川の300mほど上流の増水で落ちかけた橋を渡り,急崖をまいて幅10mほどの小川を渡り,我々のところまで来た.結局我々もこの経路を通るしかなく,暗闇の中を兵隊と住民に守られながら膝まで水に浸かって急流の小川を渡り(第6図),ロープを伝って急崖を降り,全員無事対岸に着いた(20:40).粛南の宿舎に戻ったのは21:40であった.今年は中国各地で豪雨や洪水の被害が相次いでいるが,我々自身が被害に会うとは予想しなかった.
 19日は大岔大坂を越えて青海省祁連県へ行く予定だったが,梨園川沿いの道が昨日の豪雨で通行不能になったため,一度張掖に戻り,東方の民楽(Minle)・峨堡(Ebo)を経由する迂回路をとることにした.民楽から祁連山脈に入るとまず後期オルドビス紀のオフィオライトの枕状溶岩の露頭が続き,次いでシルル紀フリッシュ,峠付近では石炭層を含むモラッセが露出していた.16:30にやっと祁連県百経寺に到着し,強い酒で地元民の歓迎を受けたあと( 下の付録図),ジープで北の沢に入り,標高3200-3300m付近でエクロジャイトと高変成度藍閃片岩を観察した.エクロジャイトのアルカリ輝石には形成時期の異なる2種類があり,前期のものはJd30-40だが,後期のものは藍閃石,クリノゾイサイトなどと共生し,Jd<30である.低変成度の部分にはクロリトイドも産する.これらは幅約1kmの帯状に露出し,北は緑色片岩と断層で接し,南側は10cm大の腕足類の化石を多産する石炭紀の石灰岩に不整合で覆われる.夜は祁連賓館で肉料理づくしの歓迎宴があった.
 20日は祁連からジープで黒河(Heihe)沿いに西へ入り,谷の北側の清水沢の高変成度藍閃片岩を観察した.観察地点は標高3200-3400mで,周辺の山地にはカールやU字谷などの氷河地形が発達する.沢の下流には幅2kmほどの藍閃片岩が分布し,幅1.5kmの蛇紋岩帯及び枕状溶岩を挟んでその北にも幅1km程度の藍閃片岩が2帯分布する.これらの藍閃片岩は珪質岩,大理石,蛇紋岩,エクロジャイト等の100m程度以下のブロックを含み,メランジ状をなす(第 7図).緑簾石藍閃片岩相に属し,しばしばザクロ石を含むが,アルカリ輝石は唯一のエクロジャイトブロックのみに見られる.また,藍閃片岩の南側には酸性火山岩源の弱変成岩が断層で接するが,これは原生代末期からカンブリア紀にかけてのリフト帯火山活動の産物とされている.この日は張掖に戻って一泊,21日夜に蘭州に帰着し,7日間の行程を終えた.
 今回の巡検はあまり天気に恵まれず,増水で足止めされたり道が通れなくなるアクシデントもあったが,案内者と世話人の努力によって予定された全露頭を観察することができた.観光のために時間をとらず,夜も宿舎に偏光顕微鏡を持ち込んで,宴会のあとに参加者を集めて岩石薄片を見せながら説明・議論するなど,案内者の真面目な態度が印象的で,参加者にも変成岩やオフィオライトの専門家が数人いて盛んに議論したので,たいへん有意義な巡検だった.

(金沢大学理学部 石渡明)

文献

從柏林(Cong, B.)・Zhai明国(Zhai, M.)・石渡明, 1991, 1980年代の中国の変成岩研究.地学雑誌, 100, 661-672.
Song, S., 1996, Metamorphic geology of blueschists,eclogites and ophiolites in the North Qilian Mountains. 30th IGC Field Trip Guide T392, 40pp.
王Quan(Wang, Q.)・劉雪亜(Liu, X.), 1976, 我国西部祁連山区的古海洋地殻及其大地構造意義.地質科学, 1976, No. 1, 42-55
Wu, H., Feng, Y. and Song, S., 1993, Metamorphism and deformation of blueschist belts and their tectonic implications, North Qilian Mountains, China. J. metamorphic Geol., 11, 523-536.
肖序常(Xiao, X.)・王方国(Wang, F.), 1984, 中国蛇緑岩概論.中国地質科学院院報, 1984, No. 9, 19ー30.
 


付録 (この写真は地質学雑誌には印刷されませんでした)


付録図.青海省祁連県百経寺(バイジンスー)に到着した巡検団に歓迎の白酒を振舞う地元の娘さん.中央は 巡検参加者の一人.この後、沢を登り、標高3300mに露出するエクロジャイトを観察した(第7図)。
 


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