新生代の紀の名称として「古獣紀・新獣紀」の提案

 

 

石渡 明(金沢大学理学部地球学科)

 

この文章は,日本地質学会2006年2月発行の,地質学会ニュース第9巻2号10ページに掲載されました.

 

[金沢大学理学部地球学科] [石渡研究室] [石渡ページ]  

 


 

 

最近,国際的に新生代の時代区分が変更され,第三紀・第四紀という長年親しんできた名称が廃止されて,従来は第三紀を二分していたPaleogene Neogeneが,それぞれ新生代全体を二分する「紀」となり,従来の(第四紀)更新世・完新世はNeogeneに含まれることになった.日本では従来Paleogene, Neogeneをそれぞれ古第三紀,新第三紀と呼んでいたが,上述のような時代区分の変更に伴い,この名称は不適当になった.鈴木寿志と石田志朗(2005; 地質学雑誌,111, 565-568)は,日本に欧米から地質学が導入された明治時代以後に提案されたPaleogeneNeogeneの訳語を詳しく調査し,「古成紀・新成紀」という訳語が適当であろうという見解を述べた.これは,両紀の名称の後半に共通する”gene”という語が,「生成する」という意味を持つことから,従来の名称よりも原語の意味に忠実であると言える.

 

 しかし,新成紀という語は,「新生代」と2字が同音であり,日常語の「新世紀」や歴史学で言う「神政期」,「親政期」などと全く同音で,日本語にこの語を加えることは好ましくない.鈴木・石田は新成紀・近成紀−古成紀・旧成紀・始成紀の各ペアも検討したが,結局「新−古」に落ち着いた.中国風に「晩−早」も可能だが,早成紀は「創世記」や「創生期」と音が紛らわしい.

 

 ところで,新生代は何といっても哺乳類の時代である.有袋類(カンガルーなどの類)は既に中生代白亜紀から出現していたが,哺乳類の各分類目のほとんどは新生代初期の暁新世・始新世に出現し,その多くは進化を続けながら現在も地球上で栄えている.哺乳類を漢字1文字で表わせば「獣」(けもの)であり,生物分類では有袋類も有胎盤類も(つまり人類も)哺乳綱の中の(真)獣亜綱に分類される.従って新生代は獣の時代と言ってもよい.そこで,新生代を二分する紀の名称として古獣紀と新獣紀を提案する.新獣紀は現代型の哺乳類が出現し,各地で著しく分化した時代であり,古獣紀との動物相の違いは明瞭である.そして,これらの語は発音しやすく,他の語と紛らわしくなく,変な意味に取られる恐れもない.しかも,PaleogeneNeogene”gene”(ジーン)と獣(ジュウ)の発音が似ており,原語を想起させる音訳の側面もある.

 

 「獣」という字は「嘼」(キュウ)と「犬」とを合わせた会意字であり,もともとは嘼の字が人の飼育する獣類,つまり家畜を表わしていた.家畜の中で犬が最も重要だったので,広く畜類の総称として,嘼と犬を合わせ獣という字ができたとされる.しかし,その後,農作物を蓄える意味の「畜」という字を家畜の意味に用いる(そして畜本来の意味には草冠をつける)ようになり,獣の字は野生の「けもの」の意味で用いられるようになって,嘼という字はほとんど使われなくなった.嘼は象形文字で,獣の頭,耳,足跡などを象っている.現代中国では漢字簡略化により,獣の意味で嘼の字を復活使用しているが(ただし上の口2つは点2つに省略),やはり「犬」がついている方が意味を理解しやすく,またいかにも「獣らしい」感じがする.日本語で「ジュウ」と読む字には充,住,柔,重,従などがあるが,音自体に悪いイメージはなく,現代中国の標準語(普通話)でも嘼(獣)と同じ発音(shòu)で読む字には寿,受,授,綬などがあり,日本語と同様に獣を野蛮の比喩として用いることはあっても,音自体に悪いイメージはない.

 

 そもそも,地学教育の衰退を食い止めて振興に導き,地学を広く国民に普及させるためには,地学の用語をもっとわかりやすく,一般の人に受容してもらえるようなものに変えて行く必要がある.Paleogene, Neogeneを古獣紀,新獣紀と呼ぶことにすれば,教育上の便宜は大きく,一般の人にも容易にその地学的意味を理解してもらうことができる.科学のアウトリーチが重要視される今日,このような名称変更の機会が訪れたのは好機であり(今年は犬(戌)年でもある),是非この「古獣紀・新獣紀」という名称を採用されるよう,日本地質学会会員ならびに他の地学関連研究者・教育者諸氏にお願いする.

 

【追記】 上の原稿を数人の研究者に見てもらったところ,「敢えて暗記のネタを増やすことはない.新生代の前期・後期でいいではないか」という人があった.この意見には一理あるが,結局きちんとした名前が必要だということになるのではないかと思う.

 

 また,上述の「獣」の解字は大修館大漢和辞典,講談社大字典などの説明によるが,平凡社の字統・字通や他の多くの漢和辞典では,「嘼」は「単」と同様の狩猟に用いる道具(および動物を追い込むための囲い)を表し,「犬」と合わせて狩猟の意であり,転じて「けもの」の意味になったとしている.


 

2006年03月31日作成,2006年03月31日更新

 

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