本の紹介


アカンサスReview, 1998年5月号(No. 32)掲載 (金沢大学生協書籍部発行)

石渡 明 (理学部・教員)

「科学革命とは何か」 都城秋穂著 岩波書店 2800円 1998年1月刊行

 クーンのパラダイム説、ラカトシュの研究プログラム説など、科学研究の一般的発展法則について議論し、それをもとに地球科学の発達史を独自の視点から見直した本です。

 この本の前半では。これまで地質学の初期段階で重要な貢献をしたとされていたイギリスのハトン(火成説)やライエル(斉一説)の評価には、実は後のイギリス人地質学者や科学史家の都合や偏見が強く影響していて、むしろ同時代のドイツやフランスの対立者(ウェルナーやキュヴィエ)の方が、当時としてはより優秀な仕事をして地質学の発達に貢献したことを、最近の科学史研究に基づいて強調しています。定説でも疑ってかかり、原文に当たって調べてみることが大切ということでしょう。もう一つ強調されているのは、先入観のない純粋な観察事実というものは存在しないということです。

 後半では今世紀の地質学の学説が論じられています。地向斜造山論はアド・ホックな仮説の寄せ集めで、単に地域地質の記載の枠組みを提供しただけだから、パラダイムではなかった。ボウエンの火成岩成因論も、基本的な仮定が誤っていて、なし崩し的に崩壊したからパラダイムではなかった。しかし現在のプレートテクトニクスは立派なパラダイムである。「小国」フィンランドのエスコラや「後進国」日本の都城らが築き上げた現在の変成岩成因論も、異説がないので一種のパラダイムである。プレート論に反対した人たちは、科学の進歩を遅らせただけだったという論調です。科学史家が学界の外から眺めた科学論ではなく、変成岩分野で世界の学界をリードした著者が書いた,否定的精神と反骨精神に富むアクの強い文章です.

 この本の性格をよく表す文章には次のようなものがあります。

 大学のなかで地位の低い人が。権力の持つ人の期待する(あるいは喜ぶ)ような研究成果を出そうとして工夫し。虚偽の報告を出す場合が多い。個々の科学者や科学者の集団を動かす最も強い力のなかに権力欲や嫉妬心が含まれていることは、学会で長年暮らしたことのある人はたいてい知っている。(104ページ)

 他方、日本でボウエンの理論を支持した人たちのほうは、ボウエンの本の中の初歩的部分を繰り返し解説し、その簡単な応用例題を日本で探すのが仕事になってしまった。そこで、その理論は固定した教義になり、前進する性質をも、探求の精神をも失ってしまった。反対者と支持者とのこのような動きは、どちらも文化的後進国の宿命的なコースであった。(275ページ)

(現在の変成岩成因論の「パラダイム」に抵抗したターナーは)エスコラのつくった藍閃石片岩相という名前を抹殺して、そのかわりに青色片岩相という名前を広めようと策動し、それに成功した。(318ページ)

以上


アカンサスReview, 1998年6月号(No. 33)掲載(金沢大学生協書籍部発行)

石渡 明(理学部・教員)

「解放された世界」H.G.ウェルズ作(一九一四年)浜野 輝 訳 岩波文庫 赤二七六−六(一九九七年八月)

 生協で偶然この本をみつけて、読んでいるうちにインドが核実験をやり、それに対抗してパキンスタンも核実験を行いました。この本は、まだ軍用飛行機すら存在せず、原子の構造も分かっておらず、ましてや人工放射能など夢のまた夢であった第一次世界大戦前夜に執筆された、原子爆弾による破滅的世界戦争とその後の世界を描いた未来小説です。恐ろしい予言力をもつこの本によると、一九三三年に人工放射能の技術が発明され(実際にこの年に発明)、一九五三年には産業に実用化(実際には一九五六年頃)されます。核反応の最終産物が金であったために、人類は無限のエネルギーと金を同時に手に入れましたが、社会体制は旧来のままだったので、一九五六年には世界の金融システムが破綻し、階級間・国家間の貧富の差は絶望的に拡大し、ついに世界戦争が始まり、その年の七月二日にパリが中央ヨーロッパ軍の核攻撃を受けて壊滅したのを皮切りに、世界のほとんどの大都主蚶が原爆で壊滅します。複葉機に乗った爆撃手が、直径六十センチの球形の原子爆弾を両手で取り出し、セルロイドの誘爆装置を噛んで引き抜き、素手で投下するという描写は、今となっては滑稽ですが、エノラ・ゲイという名のB二九爆撃機による最初の原爆投下の様子と大差なかったとも言えます。

 この戦争の終結後、一九五九年の夏に、アルプスの山上の牧草地で、イギリス王(彼はそこで王権を放棄する)の主導で世界の全国家の首脳が集まって「評議会」を作り、彼らが世界の核を管理し、戦後の復興を指導することになります。しかし、バルカン同盟の王はこの機に乗じて世界征服を企み、極秘に原爆を製造しますが、評議会に発見されて殺されます。評議会は戦前の資本主義社会の復活を試みますが、すぐに断念し、英語を共通語とし、エネルギーを本位とする通貨をもつ、社会主義的な一つの代議制世界国家へと発展して行きます。これは核による無限のエネルギーを基礎として、高度な教育と福祉が行き届き、個人の人権と自由が最大限に保証されるユートピアとして描かれています。この本の最後では、世界政府の教育委員会で活躍した、身体障害者のロシア人が、死の床で新しい世界の宗教、教育、性の問題を語ります。結局この核戦争は「戦争根絶への戦争」「人権確立の戦争」だったわけで、地域国家とそれに必然的に伴う戦争から「解放された世界」が実現したわけです。

 この本には、訳者による「ウェルズと日本国憲法」という一章が付属しています。第二次世界大戦前夜にウェルズがルーズベルト大統領に送った「人権宣言」草案と、その後の両者のやりとりが、「人権」「戦争根絶」をキーワードとする連合国の団結と勝利に寄与し、戦争終結後の占領政策や日本国憲法の根幹となったという論述です。日本占領軍が本国の憲法原案をどの程度「いじくりまわした」かについても述べられています。「人権」は今も米国外交の柱ですが、「戦争根絶」の理念は全く消滅してしまいました。

 再び世界中に核兵器拡散の波が広がり、「日本も核兵器を持っていれば広島・長崎のようなことにはならなかった」というパキスタン首相の子供じみた論理がまかり通る今、この本を読むと、統一された平和な世界は、破滅的な世界戦争の後にしか実現せず、そのような戦争は、もうすぐ起きるかもしれないという危惧を強くします。江戸を戦場にすることなく政権を交代させて、近代国家日本を出発させた勝-西郷コンビ(勝海舟「氷川清話」角川文庫を参照)のように、世界を破滅させずに新しい段階へ引き上げる指導者が、唯一の被爆国日本、もしかしたら金大の学生の中から出てくることを期待するしかありません。


トップページに戻る