森本断層のページ

石渡 明(金沢大学理学部地球学科)[English Version]


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石川県森本断層調査グループ(脚注)・石川県環境安全部

地質学雑誌,第103巻,10号,XXXI-XXXIIページ(口絵).

[脚注:河野芳輝*・石渡 明*・大村明雄*・古本宗充*・守屋以智雄**・寒川 旭***・向山 栄+・西村智博+・中居康洋++・粟 真人++] *)金沢大学理学部地球学科,**)同文学部地理学科,***)地質調査所, +)国際航業(株),++)北陸地下開発(株)]

Ishikawa Prefecture Morimoto Fault Research Group* and Ishikawa Prefecture Environmental Security Division (1997) Excavation of the Morimoro Active Fault in Kanazawa City, central Japan. Jour. Geol. Soc. Japan, 103, XXXI-XXXII. [*) Yoshiteru Kono, Akira Ishiwatari, Akio Omura, Muneyoshi Furumoto, Ichio Moriya, Akira Sangawa, Sakae Mukoyama, Tomohiro Nishiyama, Yasuhiro Nakai and Masato Awa]

以下の文章は上記の雑誌に発表済みです。図は、雑誌でご覧ください


 平成8年度科学技術庁交付金を受けて石川県が行っている森本断層調査事業の一環として,同断層に沿う金沢市梅田町の梅田B遺跡(主に弥生時代〜古墳時代)でトレンチ調査が行われ,活断層の露頭が出現した.

森本断層(三崎,1980)は,金沢市北方の海岸平野と丘陵を境する地形境界付近に推定されている,長さ13kmの活断層である(図1).丘陵末端部の洪積層は海側へ40゚〜70゚傾く撓曲構造をなしており(図2),1799年の寛政金沢地震がこの断層の活動によるとする指摘もある(寒川,1986)が,断層露頭は未発見だった.新しい道路取り付けのため従来から行われていた遺跡の発掘調査で,弥生時代の遺構面と水路が,不自然に海側が高くなっているという指摘があり,断層運動による撓曲の可能性を考えてトレンチ調査を行った.

 長さ8m,深さ6mの北西方向のトレンチの壁面に,走向N38゚E, 傾斜35゚NW,鉛直落差約1.0mの低角衝上断層の露頭が出現した(図3,4,5).この露頭では,下部のよく固結した洪積層(卯辰山層)がほぼ断層と同じ走向で海側へ40゚傾斜し,露頭上部の水平な未固結の沖積層(厚さ4m程度)がそれを傾斜不整合で覆っている.断層運動によって,洪積層は剛体的に破断して断層に沿って変位しているが,沖積層は流動変形して下部では押し被せ褶曲をなし,上へ向かって次第に緩やかな撓曲へ移り変わっている.これらの構造は1回の断層運動で生じたもので,変位の累積性はなく,水平変位もほとんど見られない.この断層は海側が上昇した逆断層であり,丘陵を隆起させてきた森本断層本体の運動とは逆センスなので,主断層の活動に伴った層面すべり断層(吉岡,1989)と思われる.

図3 トレンチの南側壁面に現れた活断層.海側へ40度傾斜した上部洪積層(卯辰山層)の砂泥互層が,ほぼ層理面に沿う逆断層に沿って上下方向に1mほど変位している.顕著な傾斜不整合で卯辰山層を覆う水平な沖積層は,上盤側の卯辰山層の衝上運動によって押し被せ褶曲をなす.

図5 トレンチの北側壁面にも同様の断層と褶曲構造が露出する.

 トレンチの南北両面に見られる沖積層最上部のシルト層(炭質物の^14^C年代は2740±50 Y.B.P.)はこの撓曲に参加して南東へ傾き,トレンチ北面では更に上位の弥生時代の腐植土層(同前,2060±70 Y.B.P.)もこの撓曲に参加しているように見える(図6).上述のように,断層を横切るトレンチ外の弥生時代の溝の遺構は変位しているが,トレンチの東半部に断面が現れているそれより新しい弥生時代の溝の遺構(同前,1930±60 Y.B.P.)は,断層運動によって形成された撓曲崖の麓に沿って掘られた可能性がある.また、トレンチ西半部に断面が現れている古墳時代の溝の遺構(同前,1410±50 Y.B.P.)には変位が認められないことから,この断層運動(M6.7以上の地震に相当)は約2000年前(±500年程度の不確実性があり得る)に発生した可能性が高い.沖積層基底の炭質物の^14^C年代は4430±60 Y.B.P.なので,この断層はそれから現在までの間に1回だけ動いたことになる.周辺地域での従来の地質踏査,ボーリング調査および弾性波探査によると,卯辰山層基底の高度は森本断層の両側で600mほど食い違っている.この変位が最近80万年間で起きたと仮定すると,森本断層の平均変位速度はおよそ0.75m/1000年となる.上述のように,今回発見されたのは副次的な層面すべり断層と考えられ,主断層のずれの量はもっと大きかった可能性が高い.主断層が1mを越す変位を生じたとすると,森本断層だけではなく,南方延長の野町断層や富樫断層なども同時に動いた可能性があり,今後の研究課題である.

 森本断層は,これまで確実度U(推定),活動度B(0.1-1m/1000年)とされていた(活断層研究会,1991)が,今回の発見によって活断層であることが確実になり,約2000年前にかなりの規模の地震を起こしたことがはっきりした.また,今回発見された露頭は,堆積物の固結の程度によって変形の様子が全く異なることを如実に示しており,平坦な沖積平野の地下数mにも,このような活断層が隠れていることを証明した点で意義深い.


上記の写真・図は,石川県森本断層調査グループ(脚注)・石川県環境安全部(1997)金沢市森本活断層の発掘調査.地質学雑誌,103,XXXI-XXXII(口絵).より抜粋しております.


【文献】

活断層研究会(1991)新編日本の活断層.東京大学出版会.
三崎徹雄(1980)石川県, 金沢−羽咋間の活構造.地理学評論,53, 280-289.
寒川旭(1986)寛政11年(1799年)金沢地震による被害と活断層.地震, 39, 653-663.
吉岡敏和(1989)褶曲に伴う層面すべり断層.活断層研究,7,5-12.

【図の説明】

図1 発掘調査地点位置図(寒川, 1986に基く).1:砂丘,2:平野,3:丘陵と段丘,4:寛政金沢地震で被害が大きかった地域.
図2 発掘地点(中央青色の囲いの中)付近の景観.手前の水面は梅田B遺跡の発掘跡.背後の丘陵には海側へ40度傾斜した下部洪積層(大桑砂岩層)が露出する.この丘陵と手前の平野の境界に森本断層の存在が推定されていた.
図3 トレンチの南側壁面に現れた活断層.海側へ40度傾斜した上部洪積層(卯辰山層)の砂泥互層が,ほぼ層理面に沿う逆断層に沿って上下方向に1mほど変位している.顕著な傾斜不整合で卯辰山層を覆う水平な沖積層は,上盤側の卯辰山層の衝上運動によって押し被せ褶曲をなす.
図4 沖積層の押し被せ褶曲は,露頭の上部では次第に緩やかな撓曲に移化する.
図5 トレンチの北側壁面にも同様の断層と褶曲構造が露出する.
図6 トレンチの北側壁面の上部には,弥生時代の水路(画面右半,梯子の左側の凹んだ構造)と古墳時代の水路(画面左端の凹み)の断面が露出し,その間に撓曲した沖積層とそれを整合的に覆う2層の腐植土層(上側は弥生時代)が見られる(各層の炭質物の14C年代については本文参照).この腐植土層は沖積層の撓曲に参加しており,この断層運動によって変形を受けたものと考えられる.

金沢市直下の森本活断層 [目次へ戻る]

石渡 明(金沢大学理学部地球学科)

以下の文章は「いしかわ人は自然人」(金沢市、橋本確文堂発行)第11巻4号(No. 42)[定価630円(税込)]、1998年1月1日冬号44〜45ページに雑誌に発表済みです。図は、雑誌でご覧ください。


 平成7(1995)年1月17日の兵庫県南部地震では、淡路島北部から神戸市東部にのびる一連の活断層が、一挙に右ずれの破断運動を起こし、このときに発生した震動が、阪神淡路大震災を引き起こしました。断層面の破断は、まず明石海峡付近の地下の震源で始まり、全長約40kmに拡大して約10秒間で終了し、淡路島では活断層のずれが直接地面に現れました。

 活断層とは、新生代第四紀(170万年前から現在)の間に活動したことが明らかな断層のことで、多くは数百年から数千年の周期で繰返し活動していて、将来も地震を発生する可能性が高い断層です。地震のときに地表に現れた活断層は特に地震断層と呼び海底に地震断層が出現すると、津波が発生します。

 活断層は一回大地震を起こすと数10cm〜数m動きます。数万年〜数十万年の間に活断層のずれが累積すると、地形図や航空写真で一見して活断層の存在がわかるようになります。横ずれ断層の場合は、断層を横切る数本の川が同じ向きに曲げられたり、縦ずれ断層の場合は、断層を境に一方の土地が高い丘になったりします。森本断層も、航空写真による地形判読によって推定されました。ここでは、最近の調査で存在が確実になった森本活断層と、その活動によって起こると思われる地震について述べます。


森本活断層 [目次へ戻る]

 阪神淡路大震災以後、科学技術庁の交付金による活断層の調査が全国一斉に始まりました。石川県の森本断層の調査事業もその一環です。森本断層は野町断層、富樫断層とともに金沢市の中心部を北から南へ縦断する活断層群の1つです(図1)。人口密集地の直下を通ること、約200年前(1799年)に、この断層に関連するらしい直下型地震が金沢を襲い(寛政金沢地震)、死者15人以上、倒壊家屋5133戸以上(周辺地域含む)の被害を出したことなどから、石川県で最も重要な調査対象とされました。平成8年度の調査では大樋町付近の測線に沿って地震計を並べ、移動しながら200kgのおもりを地面に落とし、その震動が地層に反射して返ってくる時間を記録して地下の構造を描き出す弾性波探査を行い、地下に複数の逆断層が確認されました(図2)。梅田町の弥生時代〜古墳時代の遺跡における発掘調査では、落差1mの明瞭な逆断層が確認され(図3)、地層中の炭質物の同位体年代測定によって、約2000年前(弥生時代)の地震で形成されたことが明らかになりました。この地震は歴史には残っていませんが規模はM6.6以上と推定されます。これらの結果、これまで「推定」(確実度U)だった森本活断層が「確実」(確実度T)になました。

 ただし、山側が上昇する森本断層本体の動きとは逆に、発掘された断層では海側が上昇しており(図3)、森本断層本体の大きな動きに伴う副次的な断層である可能性が高いので(図2)、この地震の規模は実はもっと大きく、野町断層や富樫断層も一緒に動いた可能性があります(図1)。これは今後の研究課題で、平成九年度は富樫断層の調査が行われています。森本断層の活動周期や200年前の寛政金沢地震との関係は、今のところ不明ですが、地質踏査や弾性波探査によって、森本断層の両側で約八十万年前の地層の高さが600mも食い違うことがわかり、この断層の動きが過去何十万年も続いてきたことが明らかなので、この断層はいずれまた動くと考えるべきです。


身近に迫る大地震 [目次へ戻る]

 金沢など日本海側の都市は、東京など太平洋側の都市に比べて日頃の有感地震が極端に少ないので、地震への備えを怠りがちです。しかし、北陸の近隣都市は、寛政金沢地震以後、大地震の被害を受けていることを思い起こす必要があります。

 福井は、1948年6月28日に起きたM7.1の地震によって、死者3769人、全壊家屋36148戸、焼失家屋3851戸の被害を受けました。このとき、石川県内でも大聖寺付近で41人が亡くなりました。この地震によって、気象庁震度階に「震度7」が加えられたことは有名です。この地震は、福井平野の東部にある北北西走向の活断層が原因です。

 富山は、1858年4月9日の飛越地震で、2180戸余りが全・半壊する被害を被った上に、この地震で常願寺川上流の大鳶山が崩れて川を塞ぎ、大きな池ができましたが、それが2週間後に決壊して大洪水になり、流域で140人が溺死、全壊・流失家屋1612戸という惨事になりました。この地震は岐阜県飛騨地方北部の跡津川断層の活動によります。

 石川県の最近の被害地震は、1993年2月7日の能登半島沖地震です。この地震はM6.6とかなりの規模でしたが、震源が遠かったため、死者はなく、負傷者や倒壊家屋も比較的少なかったのは不幸中の幸いでした。もし、あの寒さの中で、多数の人が家を失ったら大変だったでしょう。1666年2月1日(寛文5年12月27日)の午後約四・五bの積雪の最中に越後高田で地震が起き、死者が約1500人に達したという記録があります。このような積雪時の地震は石川県でも起こり得ることです。

 石川県では、(1)大聖寺付近を南北に走る断層、(2)小松から金沢にかけて平野と丘陵を境する断層、(3)邑知潟地溝帯沿いに羽咋から七尾へ伸びる断層、(4)能登半島北方沖の断層、(5)富山湾底を南北に走る断層の5つを仮定して、それぞれM7((5)は7.8)の地震が発生したときの被害想定を進めており、各地の予想震度や液状化危険度、津波の到達時間と高さを示した中間報告が既に公表されています。そして人的被害や建物・ライフライン等の被害予測作業が進んでいます。また、地震の前兆現象として、前震、地殻変動、地下水の変動、地電流の異常などが科学的に研究されており、金沢大学でも大気中のラドン量や地下水温などの観測を継続しています。しかし、現在のところ有効な地震予知法はなく、行政の地震防災事業と、一人一人の身近な震災対策が大切です。


いしわたり あきら

 一九五三年東京都出身。横浜国立大学教育学部卒業。金沢大学大学院理学研究科修了。東京大学大学院理学系研究科修了。理学博士。金沢大学理学部地球学科助教授。


関連リンク集 [目次へ戻る]

[石川県の災害地震](金沢大学理学部地球学教室物理地学グループ)
[地震調査研究推進本部](総理府)
[地震被害想定支援マニュアル](国土庁防災局)
[地震予知連絡会](国土地理院地理地殻活動研究センター)
[地震予知研究推進センター] (東京大学地震研究所)
[地震予知情報センター] (東京大学地震研究所)
[大震災が京都を!-阪神・淡路大震災を忘れないで-](京都市消防局)
[立川断層と地震のページ](立川の佐藤さんホームページ)

森本・富樫断層帯の評価

平成13年12月12日 地震調査研究推進本部地震調査委員会(文部科学省)

地震調査研究推進本部ニュース「SEISMO」(サイスモ 月刊地震レポート)2002年1月号掲載


 森本・富樫断層帯は,金沢平野の南東縁に発達する活断層帯である.ここでは,平成8〜10年度に石川県によって行われた調査をはじめ,これまでこの断層帯に関して行われた調査研究結果に基づいて,この断層帯の諸特性を次のように評価した.

1.断層帯の位置及び形態

 森本・富樫断層帯は,石川県河北郡津幡町(つばたまち)から金沢市を経て石川郡鶴来町(つるぎまち)に至る,長さ約26kmの断層帯で,断層帯の東側が西側に乗り上げる逆断層である(図1,2及び表1−本ホームページでは図を省略する.上の記事中の図を参照されたい).

2.断層帯の過去の活動

 森本・富樫断層帯では,過去数十万年間〜数万年間においては,平均的な上下方向のずれの速度が概ね1m/千年程度であった可能性がある.この断層帯の最新の活動は,約2千年前以後,約2百年前以前にあったと考えられる.本断層帯の1回の活動によるずれの量は概ね2m程度(上下成分)であった可能性がある.平均的な活動間隔について,直接的なデータは得られていないが,約2千年程度であった可能性がある(表1).

3.断層帯の将来の活動

 森本・富樫断層帯では,断層帯全体が一つの区間として活動すると推定され,マグニチュード7.2程度の地震が発生すると推定される(表1).過去の活動が十分に明らかではないため,信頼度は低いが,本断層帯の最新活動後の経過率及び将来このような地震が発生する長期確率は表2に示すとおりである.本評価で得られた地震発生の長期確率には幅があるが,その最大値をとると,本断層帯は,今後30年の間に地震が発生する可能性が,わが国の主要な活断層の中では高いグループに属することになる(注1注2).

4.今後に向けて

 森本・富樫断層帯では,主断層の活動並びに最新活動時期や平均活動間隔を評価できる信頼度の高いデータは得られていないため,これらの過去の活動履歴を明らかにする必要がある.

表1 森本・富樫断層帯の特性とデータの信頼度(石渡が編集・簡略化)

項目 信頼度 項目 信頼度
断層帯の位置・形状 平均的なずれの速度(約1m/千年)
断層帯の長さ(26km) 最新活動時期(約2000〜200年前)
地下の断層面  位置・形状 1回のずれの量(約2mの上下成分)
  断層面上端の深さ(0km) 平均活動間隔(約2000年)
  断層面の走向(NNE-SSW) 活動区間(断層帯全体で1区間)
  断層面の傾斜(東傾斜) 地震の規模(マグニチュード7.2程度)
  東側隆起の逆断層 将来の地震の活動区間と規模 同上

 

表2 森本・富樫断層帯の将来の地震発生確率等

項目 将来の地震発生確率等
地震後経過率(経過年数÷発生周期) 0.1〜1.0
今後30年以内の地震発生確率 ほぼ0%〜5%
今後50年以内の地震発生確率 ほぼ0%〜9%
今後100年以内の地震発生確率 ほぼ0%〜20%
今後300年以内の地震発生確率 ほぼ0%〜50%
集積確率(前回の地震発生から現在ま

でに地震が発生しているはずの確率)

ほぼ0%〜50%

「現在」とは2001年1月1日を指す.「ほぼ0%」とは0.001%以下を指す.

注1: わが国の陸域及び沿岸域の主要な98の活断層のうち,2001年4月時点で調査結果が公表されているものについて,その資料を用いて今後30年間に地震が発生する確率を試算すると概ね以下のようになると推定される.

(1) 98断層帯のうち約半数の断層帯   30年確率の最大値が0.1%未満

(2) 98断層帯のうち約1/4の断層帯    30年確率の最大値が0.1%以上〜3%未満

(3) 98断層帯のうち約1/4の断層帯    30年確率の最大値が3%以上

森本断層は(3)に属するので,「本断層帯は,今後30年の間に地震が発生する可能性が,わが国の主要な断層の中では高いグループに属することになる」という評価になる.(2)の場合は「やや高い」という評価になる.

注2: 1995年兵庫県南部地震,1858年飛越地震,及び1847年善光寺地震の地震発生直前における30年確率及び集積確率(このうち,1995年兵庫県南部地震,1858年飛越地震については「長期的な地震発生確率の評価手法について」(地震調査研究推進本部地震調査委員会, 2001)による暫定値)は以下のとおりである.

地震名 活動した活断層 地震発生直前の30年確率 地震発生直前の集積確率 断層の平均活動間隔
1995年兵庫県南部地震(M7.3) 野島断層(兵庫県) 0.4%〜8% 2%〜80% 約1800〜約3000年
1858年飛越地震(M7.0-7.1) 跡津川断層(岐阜県・富山県) ほぼ0%〜10% ほぼ0%〜90%より大 約1900〜約3300年
1847年善光寺地震(M7.4) 長野盆地西縁断層帯(長野県) ほぼ0%〜20% ほぼ0%〜90%より大 約800〜約2500年

「長期的な地震発生確率の評価手法について」に示されているように,地震発生確率は前回の地震後,十分に長い時間が経過しても100%とはならない.その最大値は平均活動間隔に依存し,平均活動間隔が長いほど,最大値は小さくなる.平均活動間隔が2千年の場合は30年確率の最大値は10%程度である.

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1998年10月26日作成,2002年01月31日更新

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