根上隕石のページ

石渡 明 (金沢大学理学部地球学科)


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1995年2月18日落下「根上隕石」概報

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石渡 明*・笹谷啓一**・田崎和江*・坂本 浩+・中西 孝+・小村和久++・辻森 樹*・大浦泰嗣+・宮本ユタカ+・赤羽久忠#・渡辺 誠#・布村克志#

地球科学,第49巻2号71-76頁(1995年)[フォト]発表

*北陸支部 金沢大学理学部地学教室 920-11金沢市角間町 **石川県能美郡根上町大成ホ4-1 +金沢大学理学部化学教室 920-11金沢市角間町  ++金沢大学理学部附属低レベル放射能実験施設 923-12石川県能美郡辰口町字和気オ24 #北陸支部 富山市科学文化センター 939 富山市西中野町1-8-31

以下の文章は上記の雑誌に発表済みです。地学団体研究会の許可を得て,図表と写真を添付しました(2000.4.10)


発見と初動調査の経緯

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 1995年2月18日(土)深夜、JR北陸線寺井駅に近い根上(ネアガリ)町中心部の商店街の一角に隕石が落下した(写真A)。この隕石は笹谷の自宅横に駐車してあった笹谷所有の白い乗用車の後部トランクに一辺10cmの三角形の孔(隕石孔)を穿ち(写真B)、多数の破片に分裂してトランクの内外に飛散したが、最大破片(全体の2/3程度)は貫通せずに孔の上で停止していた。翌19日午前8時40分、車を発進させようとした笹谷が異常に気づき、この隕石を発見、地元の新聞社に通報した。新聞社は国立科学博物館に連絡するとともに、2月20日夜、金沢大学に最大破片を持参し、鑑定を求めた。田崎と石渡が石質隕石であることを確認し、21日に坂本・大浦・宮本・赤羽・渡辺・布村とともに現場の状況を調査した。国立科学博物館の島・村山両氏もこの日現地を訪れ、この隕石が球粒隕石であることを確認し、「根上(ネアガリ)隕石」と命名した。同日から坂本・中西・大浦・宮本は最大破片について、小村は別の小破片について放射線(γ線)測定を開始し、石渡と辻森は微小破片の研磨薄片について鉱物の同定と化学組成の測定を行った。また、石渡・坂本・渡辺・赤羽・布村は報道機関の協力を得て火球の目撃情報の収集と確認に当った。ここでは2月28日までに得られた情報を整理して簡単に報告する。


隕石の落下状況

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 根上隕石の最大破片は幅6.5cm, 高さ4.0cm,長さ6.0cm(割れる前は10cm程度か)の大きさの偏平な3軸不等楕円体で,質量は325g,周囲を厚さ1mmの黒色ガラス層に取り囲まれ,内部は白色細粒の脆い岩石である(写真C).この他40g程度, 30g, 18gの破片3つと,多数の小片(<4g, 多くは<1g)が回収された.回収された破片の総量は約420gだが、形を復元するとかなり欠損があるので、衝突前は500g程度だったと思われる。隕石孔の形状は,南南東へ約40度の角度で,この隕石が長軸方向を先頭に突っ込んだような形にえぐれており,隕石が北北西から落下したことを示唆する.最大破片の先端部には乗用車の白い塗料が同心円状に付着しており(写真D),隕石孔にもこれに対応する同心円状の傷がみられ,隕石が衝突時に回転したことを示す. ところで、隕石孔の西側の辺に沿ってトランクカバーを補強するパイプがあり,このパイプも西へ曲げられている(写真B).均質な強度と厚さをもつ鉄板に衝突したわけではないので,孔の形状だけから進入方向を即断するのは危険であり、北ないし北東方向から進入した可能性もある。なお,根上隕石の落下地点は北緯36゜26'57",東経136゜ 27'55"である(第1図)

 この隕石の落下時刻はまだ特定できない.笹谷は18日夜は在宅だったが,隕石落下の衝撃音は聞かなかった.隣家の人は22時頃に車のドアを強く閉めるような音を聞いたが,これが隕石落下の音かどうか不明である.一方,これまでに18日深夜に火球を目撃したという情報が石川県で3件(A-C),富山県で2件(D,E)寄せられており,我々が目撃者と共に現場で確認した情報をまとめて第1表に示す。A,B,Dの情報は時刻がかなり限定されており、この火球は18日23:55分前後に出現したと考えてよい。いずれも北西方向で出現し、南方へ(左へ)飛び、空中で消滅(Cは見失)している。火球が地表から 80kmの高さで発光したと仮定すると、発光点(Cは発見点)の位置は能登半島の西北西 100km程度の日本海上空になり、隕石孔の形状から推定される根上隕石の飛行経路の延長線の周囲に分散する(第1図)。従って、この火球が根上隕石であった可能性は高い。AとEの2人の目撃者は出現直後に火球が2つに分裂して、一つは真下に落下したのを目撃している。またEの観察と他の人の観察を総合すると、火球の色は飛行中に青から赤へ変化したようである。なお、各地方気象台によると、当時の金沢の天気は曇り(雲量7)、気温2.3度、東の風3m、富山でも曇りがちで(雲量9→5)、気温1.1度、南西の風2mだったが、所によってはかなり雲の切れ間が広がっていた。


隕石の岩石学的特徴

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 この隕石は厚さ1mmの溶融ガラス殻に覆われる。ガラス殻は多孔質かつ不均質で,亀甲状の割れ目が発達し,割れ目に沿って一部崩落がある(写真E).この隕石の内部は白色細粒の基質に黒色微粒(金属鉄・硫化鉄)が散在する脆い岩石で、一見アルコース砂岩のように見えるが,持つとずっしり重い感じがする.ルーペで見ると,金色の硫化鉄と黒い金属鉄が区別でき,径1mm程度のぼやけた白色の球粒も見える(写真F). 金沢大学理学部の明石Alpha-30A SEM - Philips EDAX9100システムで電子顕微鏡観察および各鉱物の化学組成分析を行った結果(写真G第2表)、最も多い鉱物はカンラン石で,全体の体積の70%程度を占め,組成はFo_76_である.次いで斜方輝石(mg#= 79, Wo=2.0),単斜輝石(mg#=85, Wo=44.7),斜長石(Or_7_An_11_Ab_82_のオリゴクレース)が多く,ニッケルを若干含む硫化鉄(トロイライト)とニッケルを4-5 wt.%含む金属鉄(カマサイト)が存在する.金属鉄と硫化鉄の量は体積で5%を越えない.どの鉱物も化学組成は均質である.なお,クロマイトやクロルアパタイトは確認していない. 小沼(1987, pp. 59-62)によると、球粒隕石(コンドライト)のカンラン石のFo値はH,L,LL型でそれぞれ88、75、70前後であり、単斜輝石のWo値は同じ順に45.2, 44.7, 43.9である。E型にはこれら2つの鉱物は出現せず、斜方輝石のWo値はE,H,L,LLの順に1.3, 1.6, 1.8, 2.2である。上で述べた根上隕石の各鉱物の化学組成はL型球粒隕石の特徴を示す.さらに、この隕石では球粒の外形が非常にぼやけていて,マトリックスとほとんど区別できないことから,変成作用の最も進んだL6型に属すると思われる(小沼, 1987の口絵写真とp. 53-54).


隕石中の宇宙線生成放射性核種

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 隕石は宇宙空間を飛行している間に太陽や銀河から来る宇宙線の照射を受け続ける.宇宙線の大部分は高エネルギーの陽子(水素原子核)であり,これが隕石中の質量数の大きい原子核と衝突して核破砕反応を起こし,それより質量数の小さい放射性核種(宇宙線生成核種)を形成する.それらは各々固有の半減期で壊変して安定核種に変化するが,その際に各核種に特有なエネルギーのγ線を放出する.地表の岩石は大気によって保護されているので,このような核種を含まない. 我々は落下の約2.7日後から、連続して62時間にわたり根上隕石から放出されるγ線を、よく遮蔽された相対効率100%のゲルマニウム半導体検出器でスペクトル分析したところ,このような隕石特有の宇宙線生成核種から放出されるγ線を多数検出することができた(第2図)26Al(半減期71.6万年), 22Na(2.602年)が代表的なもので,44m Sc(2.44日), 46Sc(83.8日), 48V(15.98日), 51Cr(27.7日), 52Mn(5.6日), 54Mn(312日), 58Co (70.8日) 等もはっきりしたピークを示し,半減期53.29日の7Beも検出されている.40Kのピークも顕著だが,この大部分は隕石中にもともと存在するカリウム(例えば第2表の斜長石の分析値を見よ)の寄与であり、宇宙線照射により生成した40Kの寄与は極めて少なく、落下後の地球起源の40Kの混入も無視できる。なお、隕石から放出される放射線は,地球の通常の岩石よりはるかに微弱である.これは隕石中のウランおよびトリウムの含有量が地球の通常の岩石の1/10から1/100であり、これらから放出される放射線の寄与が少ないためである。 これら放射線核種から放出されるγ線の強度を落下時の放射能に換算するには、模擬線源を作成して各γ線の検出効率を正確に求めるとともに放射性壊変の補正が今後の作業として残っているので、今回はスペクトルを示すにとどめる。


根上隕石発見の意義

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 隕石孔の形状および火球の目撃情報から考えて、根上隕石は日本時間1995年2月18日 23:55頃、北北西方向の日本海上空から約40の角度で落下したものと考えられる。今回の隕石発見は、1992年12月10日、島根県の民家に落下した美保関隕石に次いで日本では戦後7番目であり、北陸地方では、1890年に富山県中新川郡上市町で隕鉄が発見された例はあるものの落下した隕石がすぐに発見されたのは初めてである(島・村山, 1992)。しかし、地球全体で見ると、球粒隕石の中では根上隕石のようなL6型は最も発見数が多く(小沼, 1987, p. 53)、隕石としては最もありふれたものである。 今回は隕石落下後2日目から、関連するいろいろな分野の研究者が緊密な協力のもとに調査・測定を行い、落下から10日を経ずにこのレポートが完成された。また今回は落下から2.7日後に放射能測定を開始したが、これは、これまでで最も短かった美保関隕石の場合より2日も早い。半減期15時間の^24^Naが検出される可能性があるとして期待されたが、美保関隕石の場合より約5倍効率の高い極低バックグラウンド検出器を使用したにもかかわらず、4半減期を過ぎていたため確認できなかった。とはいえ、半減期 2.44日の^44m^Scは明瞭に検出されており、早期放射能測定は落下物体が隕石であることを証明する上でも極めて有効であった。岩石学的研究はいつでもできるが、放射能測定や落下現場の調査・目撃情報の収集は一刻を争う。次回はこの点に留意して、より速やかな初動調査がなされることを期待する。


謝辞 隕石についてご教示頂いた国立科学博物館の島正子・村山定男両氏、および東京大学の永原裕子氏に感謝する。調査に協力して頂いた北陸中日新聞の小塚泉氏とテレビ金沢の栄永香織・大村九一両氏に感謝する.目撃情報をお寄せ下さり,目撃現場で詳しく説明して下さった多田真澄(金沢市新神田),元知恵子(金沢市中村町),西野正子(金沢市福久町),青山俊樹(富山市本郷町),宮田勝信(八尾町庵谷)の各氏に感謝する.


文献

小沼直樹 (1987) 「新装宇宙化学 コンドライトから見た原始太陽系」。サイエンスハ
ウス、東京。
島正子・村山定男 (1992) 本邦に落下、回収された隕石研究の推移。国立科学博物館研
究報告、Ser. E, 15, 30-40

その後公表された根上隕石関係の文献,記事

1.司馬康生・石渡 明・溝口秀勝・渡辺 誠・大塚勝仁 (1995) 根上隕石の落下経路.天界, 76(842), 184-193.

2.石渡 明 (1995) 根上隕石の偏光顕微鏡写真.地質ニュース,1995(8),表紙.

3.Anonymous (1995) Another car conker (News notes). Sky and Telescope, Sept. 1995, p. 12.


写真の説明

写真 A.. 根上隕石発見地点付近の様子。人物後方の白い乗用車のトランクに落下した。乗用車の
位置と方向は隕石落下当時のままである。

写真 B. 隕石孔の形状。方位磁石は赤が北を示し、目盛は全長7cm。この形状は北北西方向から
の進入を示唆する。

写真 C. 根上隕石の最大破片。白色細粒の岩石が厚さ1mmの黒色溶融ガラス殻に取り囲まれる。地
元新聞は「天から降ってきたおむすび」と表現した。スケールは全長15cm.

写真 D.根上隕石の黒色溶融ガラス殻に付着した乗用車の白色塗料片.左先端部を中心に同心円
状に付着.左を頭にして衝突し,その時回転したことを示す.

写真 E. 根上隕石の黒色溶融ガラス殻の表面とその内部の岩石の顕微鏡写真。ガラスは多孔質で
不均質。内部の白色細粒の岩石との色彩の対比が著しい.スケールは全長1cm.

写真 F. 内部の白色岩石の顕微鏡写真.直径1mm程度のぼやけた球粒がいくつか見られる(矢印).
細かな黒色鉱物は硫化鉄(トロイライト)と金属鉄(カマサイト).スケール全長は1cm.

写真 G. 根上隕石破片の走査型電子顕微鏡による後方散乱電子像.長径3.5mmの破片の全体像.
明るい部分は金属鉄(im)と硫化鉄(is),中間色の部分はカンラン石(ol),やや暗い部分
は斜方輝石(op)と単斜輝石(cp),最も暗い部分は斜長石(pl).

写真 H. 前写真(G)の左下部分の拡大図.記号は前写真と同じ.下部のスケールは0.042mm.

 第1図 根上隕石の落下地点(F)および隕石孔の形状から推定される飛行経路(矢印の実線).方位角333゜,仰角40゜から飛来.飛行経路が地表から80kmの高さに達する地点を○で示した(F').火球の目撃地点を●で示す(A-E).各地点からの発光(十字つき)または発見(十字なし)方位を○で示す(A'-E').これらは各々の視線が80kmの高さ(仮定された発光高度)に達する地点である.C'の仰角は40゜だが,他は25゜を仮定(仰角が不正確なものは括弧つき).消滅(棒つき)または見失(棒なし)方位は推定飛行経路に投影された小さい●で示す(A"-E").□は大きな都市を示す.詳細なデータは第1表を参照されたい.

第2図.根上隕石のγ線スペクトル図.325gの最大破片を検出器から1cmの距離に置いて約2.6日間測定した.測定開始は推定落下時刻(18日24時)から約2.7日後である.

第1表.1995年2月18日深夜に出現した,根上隕石に関係があると思われる火球に関する目撃情報.

記号,観測地点,北緯,東経,時刻,発光(発見),消滅(見失),仰角(不確),色,備考

A,金沢市高尾,36o30'41",136o38'03",23:56±,318°,293°,(20°),ピンク,発見直後322°で分裂

B,金沢市中村町,36o33'26",136o38'49",23:50-24:00,323°,233°,(20°),オレンジ,煙が残った

C,金沢市福久町,36o37'00",136o41'11",24h-25h,(323°),(293°),40°,不明,家の中から窓ごし

D,新湊市越の潟,36o46'15",137o06'53",23:55-56 or 24:15-16,320°,300°,(25→20°),青白,短い尾あり

E,八尾町大長谷東原,36o26'42",137o05'09",23h-24h,323°,298°,25→22°,青→赤,発見直後320°で分裂

F,根上町大成,36o26'57",136o27'55",22h?,333°から進入,仰角40°[落下地点]

第2表.根上隕石の鉱物化学組成。左からカンラン石、斜方輝石、単斜輝石、斜長石。斜長石のナトリウムが少なく測定されているのは試料の表面状態が悪いためと思われる.



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関連リンク集 [ひとつ戻る] [トップに戻る]

[宇宙からの手紙 根上隕石](incl みてみて!! 石川県)
[根上隕石の顕微鏡写真](地質ニュース,1996年8月号表紙)
[根上いん石 宙太グッズ](根上町商工会)
[太陽のこぼれている町 NEAGARI(根上町ホームページ)](石川県能美郡根上町 根上町役場)

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