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角間キャンパス岩石散歩
(石渡先生作成)


Kanazawa University
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卒業生の声


土屋健 / Ken, TSUCHIYA
荒川浩樹 / Hiroki, ARAKAWA
阿部なつ江 / Natsue, ABE

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1.科学雑誌「Newton」編集室の土屋です

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みなさん,こんにちは。 私は現在,科学雑誌『Newton』のニュートン編集室に勤務する土屋と申します。 2005年秋現在,古生物を毎月紹介する「パレオントグラフィ」と,もう1本の連載記事を担当し,ほかにも地球科学を中心にさまざまな記事を執筆・編集しております。
 金沢大学には1997年春に入学,大学院博士前期課程修了まで6年間在学しておりました。
 ここではおもに高校生向けに,「金沢大学理学部地球学科での研究生活と講義について」、ご紹介したいと思います。

2.なぜ金沢大学理学部地球学科を選んだのか?

時計をだいぶ昔までもどしますと,私が金沢大学に進学しようと思ったのは高校2年生のときです。 恐竜少年だった私は,日本最大の恐竜化石産地である「手取層群」を県下にもつ金沢大学ならなんらかの恐竜に関する研究ができるのでは,と思っていました。 当時はまだインターネット黎明期で,HPなどの情報入手はきわめて困難な時代です。情報の大部分を大学のパンフレットに頼るしかない状況で,このような「直感」で進路を選ぶ高校生は多く,同期にも何人か同じ理由で金沢大学を選んだ者がいます。

3.幅広い講義と実習

入学後,学部3年次前期までの2年間半の講義・実験でいわゆる「地学」に関するさまざまな基本を履修しました。 地質学にはじまり,火山学,岩石学,地震学,地球物理学,古生物学,地球環境学など,金沢大学には,多分野にわたる先生方が在籍しておられます。 先生方はさまざまなスタイルで講義や実習を指導してくださいました。なかには「ベランダから雪球を落として,隕石衝撃の度合いをモデル計算する」というユニークな,雪国ならではの実習もありました。
 この基礎を身につける時代で,私の思い出に強く残っている実習は,学部2年次前期に毎週予定されていた「野外調査法」の実習です。 基本的に現地集合の一日がかりで,全員必修。野山を歩きながら,露頭(地層)や岩石をつぶさに観察する,というものでした。それまでとくに仲良くもなく講義を受けていた同期の仲間たちと,はじめてチームを組んだ実験でした。 野外が好きな私は,よくひょいひょいと竹のはえた急斜面を登っては,露頭を見に行ったものでした。山の中を思いっきり歩きまわるという感覚が楽しくてしかたありませんでした。
 また,学部2年次後期には,「大桑」(おんま)と通称される,古生物の実習がありました。金沢市内を流れる犀川の河岸で貝化石を採集して持ち帰り,実験室でクリーニングをし,そのデータをもとに古環境の議論を行うという実習です。これも私のお気に入りの実習の一つでした。化石好きな私が,実ははじめて化石を手にして行うことにできた本格実習で,よく遅くまで実験室に残ってクリーニングをしたり,自宅のパソコンで深夜までデータを吟味したりしたものでした。

4.研究生活の始まり

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学部3年次後期からは「課題実験」という名の,いわば研究室の仮配属期間のはじまりです。私にとって,このときから大学院終了にいたるまでの3年間強が,化石を相手に日々格闘した青春の日々になります。
 私は,学部時代はイノセラムス(右図)という海にすむ二枚貝の化石を,大学院時代は花粉の化石を研究対象としていました。 両方とも恐竜時代で知られる白亜紀の地層から産出するものです。
 恐竜そのものを研究テーマにすることはできなかったものの,なんとか恐竜時代の化石に関わって生きたい,というのが私の研究生活の目標でした。 そこで,指導教官となった長谷川卓助教授(当時は助手)と話しあった結果,北海道の蝦夷層群という地層を舞台に研究することに決めました。 蝦夷層群は日本を代表する白亜紀の地層の一つです。

5.北海道からアメリカへ:卒業研究

学部4年次のときは夏季の1か月半,北海道に宿をとり,化石を中心とする試料の採集に明け暮れました。 私が研究の舞台としていた大夕張地域付近には,三笠市というところに,現地の方の御好意で,こういった化石研究をする学生に格安で部屋を提供してくれるところがありました。 このときに同じ宿に泊まっていた他大学の学生とは,今でも良いおつきあいをさせてもらっています。同じ釜の飯を食った仲,というやつですね。
 その後,金沢に帰ってからすぐに渡米し,今度は2か月半,インディアナ大学で同位体の分析を行いました。 これは,卒論でイノセラムスと炭素の同位体比曲線の対比を研究テーマにしていたからです。 結果として学部4年次の1年間は,1年間の3分の1の時間を,金沢をはなれて暮らしていたことになります。 そのかいもあってか,このときの研究は『地質学雑誌』という学術誌に投稿することができ,掲載されるにいたりました。

〜卒業論文要旨(長谷川研究室HP) 日本語 / ENGLISH

6.恐竜時代、東アジアの環境はどう変化したか?:大学院時代

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私は,学部2年次の夏ぐらいまでには,大学院に進学しようと決めていました。「もっと本格的な研究をするために大学院へ」は,私の中の合言葉でもありましたし,大学院に進学すれば,より研究の自由度が広がると考えたからです。もともと博物館の学芸員を志望していたこともあり,より広く・深く研究することは私自身のテーマでした。
 大学院に入ってからは,研究テーマを一転し,より恐竜に近づこうと,陸上の化石である花粉に着目しました。 花粉から植生を,植生から恐竜の食性を,と考えたわけです。ところが当時,日本には大学教官の方で白亜紀の花粉をやっておられる方がおらず, 企業の研究者や新生代花粉の研究者,そして同時期にやはり白亜紀の花粉に注目した他大学の大学院生と情報交換を進めながら,花粉の分析をはじめました。
 やはり夏に1か月半ほど北海道に出かけて蝦夷層群の泥を採集し,その泥を薬品処理して花粉化石の抽出を行う,という地道な作業のくりかえしでした。 半年以上なかなか花粉化石を抽出することができず,成果が出てないことにあせっていました。春の足音をきくことになってようやく, 目あての花粉化石が見えたときの感動は今でもしっかりと覚えています。 はじめて自分で花粉化石をみつけ,見ることができた興奮そのままに,奇声をあげながら実験室を飛び出し,友人たちに「見えた」「見えた」と報告したものでした。
 その花粉化石を使って,白亜紀の東アジアにおける環境変化を議論したものが,私の修士論文です。

〜修士論文要旨(長谷川研究室HP) 日本語 / ENGLISH

7.そして「Newton」編集部へ

3年間半の研究時代は,週の半分以上は朝からアルバイト,午後は毎日深夜まで研究という生活を基本にしていました。 今思うと,自分でもよくそんな生活をしていたと思います。……若かったのですかね?(苦笑)。 おかげで一般的にハードといわれる編集業界に入った現在でも,抵抗をあまり覚えずに社会人生活をおくることができています (つまり,研究時代のあれた生活のおかげで,多少はタフになったということでしょうか)。 修士論文の発表間際では,実験室に寝袋を持ちこんで仮眠をとりながら,データをまとめ,議論を考え,発表の準備を進めたものでした。
 研究というものは,自分のテーマだけをやっていたのでは視野がせまくなりすぎる,というのが当時からの私の持論でした。 自分で専門書を買っては読み,学外に友人をつくっては議論をし,博物館などを数多く回る。 地球学科で学んだ知識と自分の研究を根や茎にして,いろいろなところに枝をのばしていく,そういった日々をおくったのが,大学・大学院の6年間でした。 このときの経験が,現在の科学雑誌の編集者という私の土台となっているのは確かです (もっとも,科学雑誌の編集者を考えはじめたのは,就職活動の時期が近くなってからで,当時は学芸員志望でした。 修士卒業をひかえた年の就職活動で, 「より多くの人に科学の楽しさを知ってもらう」ために科学雑誌への就職を希望し,今に至ります。)。

8.地球科学を目指す「あなたへのメッセージ」

そして今,何よりもまして,地球学科に属した6年間でつちかった「地球科学的な思考」は,私のかけがえのない財産となっております。 研究生活こそはなれはしましたが,ちょっと不思議なことがあれば,どうしてこんなことがおきるのだろう,と地学の視野から考えるようになりました。 おかげで毎日楽しく過ごしております。車で郊外に出たときや,取材で地方を訪ねたとき,「なんでこんな地形ができたのだろう?」「お,地層が見えている」「あれは化石じゃないか」などと, もはや反射的に考えるようになっています。そして,その場に同僚や友人がいれば,つい説明してしまう……という毎日です。
 これを読んでくださった方が,もし地球学科に興味をおもちになったとしたら,まずは各研究室のHPをじっくり読んでみてはいかがでしょうか。 とはいっても,研究者ではない人から見れば,正直言って難しい内容かもしれません。 そのときは今,自分の胸の中にある率直な思い・疑問をメールで先生たちにぶつけてみてはいかがでしょう。 みなさん,楽しく,思いやりのある先生方ばかりですから,きっとていねいに答えて下さると思いますよ。

末尾になりましたが,科学雑誌Newtonもよろしくお願いいたしますね(^^;

株式会社ニュートンプレス ニュートン編集室勤務
土屋 健(2003年 金沢大学大学院 博士前期課

現在の項目:

1.科学雑誌「Newton」編集室の土屋です
2.なぜ金沢大学理学部地球学科を選んだのか?
3.幅広い講義と実習
4.研究生活の始まり
5.北海道からアメリカへ:卒業研究
6.恐竜時代、東アジアの環境はどう変化したか?:大学院時代
7.そして「Newton」編集部へ
8.地球科学を目指す「あなたへのメッセージ」