小笠原諸島の地質と生い立ち

小笠原諸島はどこで生まれたか?

 一般の方には“地質”とはちょっと聞き慣れない言葉かもしれません。植物や農作物などが生育するところを土壌と言い,その性質が“土質”です。土壌の下にある岩石や土砂のことを“地層”と言い,その性質を“地質”と言います。地層は私たちの足下深く,はるか地球の中心まで続いています。いうなれば大地そのもののことです。この大地のでき方やその仕組みを研究する学問が地質学です。小笠原村には北は聟島列島から南は南硫黄島まで,西は西之島から東は南鳥島まで,非常に広い範囲の島々が含まれていますから,それらの地質の成り立ちといっても様々です。地質学的に見て,これらの島々は大きく3つに分けることができます。西之島から南硫黄島に至る火山列島,父・母両島をはじめとする小笠原群島,それからはるか東の南鳥島です(図2)。火山列島はいずれも第四紀の新しい活火山で,伊豆−小笠原海溝に平行に南北に延びる海底火山群の一部が海面上に顔を出したものです。伊豆−小笠原海溝と平行に走る火山列はともに東に向かって弓なりに張り出しています。このように弧状配列した火山列を含む地帯を島弧と言います。東北日本も日本海溝に向かって弓なりに張り出した島弧ですし,西南日本も南海トラフという海溝に向けて張り出した島弧です。島弧にある火山を島弧火山と言います。小笠原群島は古第三紀という地質時代の海底火山と火山島が海面上に現れたもので,今から4,800万年〜3,800万年前の島弧火山です。これに対して,南鳥島の周りには海溝がありません。太平洋の海底をつくる硬い岩盤(プレート)の上にできた,島弧火山とは全く違ったタイプの火山なのです。実はガラパゴスと同じようにしてできたホットスポット火山です。ホットスポットとは,文字通り地球深部から高温の物質が上昇してくる場所のことで,プレートの動きや海溝とは無関係に火山ができます。現在の地球上にはこのようなホットスポットが40個くらいあります。リゾート地として有名なハワイやタヒチもホットスポット火山です。




図2.小笠原周辺のプレートと島弧−海溝系。

 地球の表面は10数枚のプレートという堅い岩盤でおおわれています。プレートはじっとしているわけではなく,南極の大陸氷河のように年間数cmから20 cmくらいの速度でゆっくりと動いています。プレート同士は衝突したり,片方の下にもう一方が沈み込んだりします。プレートが沈み込む場所が海溝という深い溝です(図3)。日本列島の周辺は4つものプレートがぶつかり合っている場所で,そのために地震や火山活動が盛んなのです。小笠原諸島があるのはフィリピン海プレートの東端です。地球の海洋底には総延長7kmにもなる海底火山の大山脈があり,地球をぐるりと取り巻いています。この山脈を中央海嶺と呼びます。海洋底のプレートは中央海嶺にそって裂けながら両側へ広がっています。中央海嶺では地球内部からマグマが湧き出て,裂け目を埋めるようにして新たにプレートを生み出しているのです。この時テープレコーダー(最近あまり見かけませんが)と同じように,新しく付け加わったプレートはその時々の地球磁場の方向に磁化されます(図3)。方位磁石のN極が地球の北を指すのは,北極がS極に帯磁しているからです。ところが,地球磁場は常に一定しているわけではなく,数万年に一度くらいの割でN極とS極が入れ替わります。そのため中央海嶺で磁化される海洋プレートには地球磁場の反転が地磁気異常の正と負の縞模様として延々と記録されます。そこで,この縞模様を解読することによって,そのプレートがいつ,どのように動いたかという歴史を読みとることができるのです。

3.中央海嶺と島弧−海溝系。中央海嶺で生まれた海洋プレートはその時々の地球磁場の方向に磁化され,ベルトコンベヤーのように移動していき,やがては海溝から沈み込む。

 

 フィリピン海プレートのほぼ中央を南北に九州−パラオ海嶺という海底山脈が走っています(図2)。九州−パラオ海嶺と伊豆−小笠原−マリアナの間には四国海盆とパレスベラ海盆という海洋底があります。この海底の地磁気異常の縞模様は,今からおよそ3,000万年前から1,700万年前にかけて四国−パレスベラ海盆が拡大したことを示しています。つまり,3,000万年前には伊豆−小笠原−マリアナ弧は九州−パラオ海嶺とくっついていて,奄美海台,沖大東海嶺と小笠原はすぐ隣合っていたのです(図4)。それが近縁の貨幣石が出る理由です。父島や母島の火山活動は今から4,200-4,800万年前なので,さらに時代をさかのぼる必要があります。今から4,800万年前には小笠原は赤道近くにあって,多分反時計回りに90-100度くらい回転させた状態であったらしいのです。この頃小笠原の火山活動が起きたのは,小笠原の下から高温のマントル物質が湧き上がってきたためという説と,北側から小笠原の下に中央海嶺が沈み込んだためという説があります。このあたりになるとデータが乏しくてプレート運動の復元がむずかしいため,どちらも定説と言えるほどにはなっていません。

44,800万年前の小笠原周辺のプレートの復元図。Tatsumi and Maruyama (1989)より。小笠原は赤道付近にあって,西フィリピン海盆の拡大軸のすぐ近傍に位置していた。北側の海溝には生まれたての暖かい北ニューギニアプレートが沈み込んでいた。また,ちょうどこの頃小笠原直下に高温のマントル上昇流があったとする説もある。