父島海底火山と父島列島

 無人岩の溶岩は父島列島や聟島列島では一番古い地層です(図5)。その下にはもっと古い時代の地層があるはずですが,何があるかはわかっていません。父島では無人岩は主に北東から東側の海岸を廻って南岸にかけて分布します。ほとんどは枕状溶岩という海底の急斜面を流れた溶岩に特徴的な形態を示します。海岸の崖に露出する断面を見ると,亀の甲羅に似ているので当地では“亀甲石”の名でお馴染みです。また枕状溶岩を切って貫入した多数の岩脈を海岸の崖で見ることができます。岩脈とは板状の火山岩体で,厚さ数10 cmから数10 m,縦横に数kmも続くことがあります。もともと火山の地下にあったマグマの通り道が冷えて固まったものです。特に石浦から初寝浦にかけての海岸に多く,東島との間の海上に顔をのぞかせる数多くの岩礁は全て岩脈です。岩脈が集中しているこのあたりが“父島海底火山”の中心でした。父島海底火山は北北西に延びた山体を形成し,比高500m以上あったと思われます。現在では山頂と火山体の中心部はすっかり波に削りとられ,堅い岩脈だけが浸食に耐えて残っています。父島火山の初期の活動はもっぱら静かに枕状溶岩を流し出す穏やかな噴火でしたが,山が高くなるにつれて次第に爆発的な噴火を交えるようになりました。このときの噴出物は夜明け山から中央山一帯の周遊道路沿いに見ることができます。
 父島の西部,小港から金石浜にかけては父島海底火山のすそ野にあたります。高い山頂で起きた爆発的噴火で吹き飛ばされた溶岩の破片や火山灰は,水中土石流となって山裾に流れ下り,砂と泥の層が交互に繰り返す地層となって堆積しました。ブタ海岸から南に続く海岸に沿ってリズミックな縞模様を見せている黄褐色の地層です。


図5a.父島と兄島の地質図。(海野・中野, 2007. 5万分の1地質図幅「父島列島地域の地質」産総研)


 無人岩の活動が終わりに近づくと,父島海底火山の山頂付近と西のすそ野にあった野羊山〜飯盛山でもっとケイ酸分の高いデイサイト質マグマの噴火が始まりました。デイサイト溶岩が水中で噴火すると,水による急冷のため破砕してハイアロクラスタイトという溶岩片の集合物になってしまうのが普通です。ところが,このデイサイトは無人岩に近縁の特異な組成をしているせいか,立派な枕状溶岩をつくっています。これも小笠原以外ではめったに見られない現象です。野羊山の壁や象鼻崎では直径数mを越える巨大なデイサイトの枕状溶岩が見られます。デイサイトの火山活動が衰えてくると,噴火が間欠的になって次第に休止期が長くなりました。この時期に火山体の山稜から山腹を被っていたデイサイト溶岩の浸食が進み,円摩されたデイサイトや安山岩のレキを含むレキ岩層が堆積しました。
 しばらくすると再び山稜で噴火活動が始まり,ハイアロクラスタイトを伴った板状の流紋岩溶岩が山体斜面を流れ下りました。これらの溶岩の多くは浸食によって失われたと思われますが,今でも旭山と赤旗山,天之浦山から巽崎にかけて見ることができます。
 その後父島列島では無人岩質マグマとは全く異なる種類の火山活動が始まりました。三日月山一帯と弟島の山稜にはオージャイトとハイパーシンという輝石の大きな結晶を含む安山岩やデイサイトの火山性の角レキ岩ないし火山砂岩層が見られます。この安山岩やデイサイトは内地の火山の石とよく似ています。専門的にはカルクアルカリ岩系と言って,島弧火山を特徴づける岩石です。この砂岩−レキ岩層は,ほとんどが水中土石流の堆積物です。おそらく,火山体の一部が地震や噴火を引き金にして崩れたものと思われます。しかし,その火山の噴火中心がどこにあったのか未だにわかっていません。よく似た角レキ岩層は嫁島の山稜にも見られます。父島列島だけでなく,嫁島付近にまで拡がったかなり広域的な火山活動だったようです。
 


図5b.父島と兄島の地質断面図。(海野・中野, 2007)