地質の見所と観察の要点

父島と兄島の観察ポイント

無人岩(ボニナイト)とはどんな石?

  父島では無人岩の枕状溶岩は島の北岸から東の海岸を廻って南の千尋岩の崖にまで分布しています(図5)。手近なところでは宮之浜,釣浜の東岸,初寝浦〜石浦などで見ることができます。観光客がよく行く小港やループトンネルの周辺にあるのは残念ながら無人岩ではありません。古銅輝石安山岩の枕状溶岩です。しかし,ループトンネル周辺の安山岩には1-5 mmくらいの乳白色の単斜エンスタタイトが入っています。

 無人岩はガラス質の岩石で,割れ口はグリースがにじんだような特徴的な光沢を示します。多孔質で丸い気泡を白い沸石などの二次鉱物が埋めていることがあります。また,34種類の輝石という鉱物の柱状〜板状結晶を沢山含んでいます。無人岩を手に取った時にまず目を引くのは濃緑色の径1-2mmの結晶です。古銅輝石という鉱物で大きなものは1cm近くにもなります。無人岩が風化浸食を受けると堅い古銅輝石だけが残り,やがて波に洗われて海岸に集まり緑色のうぐいす砂となります。ハワイなどの海岸にはカンラン石という鉱物が集まってできるカンラン石砂というのがありますが,世界的にはさほど珍しいものではありません。しかし,世界広しと言えどもうぐいす砂が採れる所は小笠原の他には聞きません。岩石を岩石カッターで板状に加工してスライドガラスに貼り付け,厚さ0.02-0.03 mmくらいになるまで薄く研磨すると,光を通すようになります。このように薄く加工した岩石試料を“薄片”と言いいます。無人岩の薄片を偏光フィルターを備えた偏光顕微鏡で見ると,先ほど述べた単斜エンスタタイトや古銅輝石の結晶が透き通った天然ガラスの中に輝く様子を見ることができます(図7)。内地の火山岩には見られない美しい組織をもった岩石です。

7.無人岩の偏光顕微鏡写真。単斜エンスタタイト(Cen)やカンラン石(Ol)の大きな結晶が見られる。周囲の小さな結晶はオージャイトと古銅輝石

 無人岩は安山岩という火山岩の一種ですが,普通の安山岩に比べてはるかに高いマグネシウム含有量を示すことも特徴です(MgO8-15%;表1)。この岩石を世界で初めて研究したのが理科大学(現在の東京大学理学部)助教授の菊池安です。菊池は1888年に邦文で小笠原の地質を紹介し,1890年には英語論文で詳細な鉱物記載と化学分析を発表しました。彼の研究成果は大変すぐれたものであったのですが,残念なことにあまり注目されず32才という若さで夭逝したこともあって,やがて忘れ去られてしまいました。無人岩の英語名をボニナイトboniniteと言いますが,これはペーターセンPetersenというドイツ人学者が1990年に命名したボニニットboninitという岩石名を英訳したものです。元をただせば小笠原の古名である“無人島(ぶにんじま)”から名付けたもので,“小笠原石”という意味です。もっとも“ぶにん”は“むにん”がなまったもののようですから,本来は“ムニニットmuninit”と命名するべきだったのでしょうか。

 無人岩の特殊な化学組成は,数千万年前に小笠原諸島を形成した火山活動を復元する上で重要な鍵となります。無人岩は父島列島から聟島列島にかけて見られますが,これらの多くは海底火山の噴火によって生じた溶岩です。溶岩とは融けた岩石が地表に(海底も含まれます)現れたもので,流れている最中も,冷えて固まった後も溶岩と呼びます。融けた溶岩が地下にあるときはマグマと言います。普通の島弧火山の下では,地下30 kmよりも深いところでマントルカンラン岩という岩石が部分的に融けて,ケイ酸分が50%前後の玄武岩質マグマができます。この玄武岩質マグマが地表に上ってくる途中で変化して,安山岩やデイサイトのもとになるケイ酸分に富んだマグマができます。ところが地下20kmという浅いところで水を含んだマントルカンラン岩が溶融するとケイ酸分が高く(56-58%),マグネシウムの多い無人岩質マグマとなることが高温高圧実験によってわかりました。通常ですとこの深さのマントルは温度が低く,溶融することはありません。無人岩質マグマが発生したときは何か特別なことが起きて,冷たいマントルを加熱したに違いありません。それが先程述べたプルームの上昇やホットプレートの沈み込みであろう,と考えられるのです。

 

枕状溶岩

 小港海岸や亀の首の海食崖,ループトンネルなど父島周辺ではお馴染みの“亀甲石”のことです(図8)。粘性の低い溶岩が水底を流れたときにつくる特徴的な形態で,西洋枕を積み上げたような形をしていることから枕状溶岩pillow lavaの名があります。和名では俵状溶岩とも言ったのですが,昨今では米俵を目にする機会も少ないので,直訳して枕状溶岩と言っています。個々の枕は細くくびれた所でつながっていて,立体的にはウインナーソーセージのように連結しています。また,ときどき2つの枕に枝分かれすることもあります。ハワイの海底では実際に枕状溶岩が流れる様子がビデオに収められています。枕状溶岩は平均斜度が数度以上の水底を流れるときにできます。また,小規模で静かに溶岩を流し出すような噴火の時に生じることが多いのです。

8.父島の枕状溶岩。小港の八瀬川河口にある古銅輝石安山岩(a),釣浜の無人岩(b),および天之鼻のデイサイト(c)。安山岩の枕状溶岩は変質のために中心部が黄色くなっている。しかし無人岩の枕状溶岩はあまり変質していないため,枕の中心部も灰色である。デイサイトの枕状溶岩は一見すると角レキ岩のように見えるが,明黄色の境界をたどると枕の輪郭がわかる。

 

 小港のロータリーや海岸では安山岩の枕状溶岩が見られます。砂浜の左右の崖を見ると,黄色い岩肌に黒い不規則な亀甲模様を描いたようなものがあります。黒い部分は枕状溶岩の表面が海水に急冷されてできたガラス質の部分で,その間の黄色い地肌は溶岩内部の多孔質の部分です。細かい気泡がいっぱいあるために地下水などが染みこんで,風化変質した結果黄色くなったのです。もともとはロータリーの壁に見られるような灰色の岩石でした。溶岩が急冷されてできる天然ガラスは比較的風化に強いため,黒く枕の形を縁取るように残ったのです。ところで無人岩の枕状溶岩は中心部でもあまり黄色く変質しません。岩石全体が非常にガラス質だからです。

ふつう枕状溶岩は玄武岩であることが多く,安山岩やデイサイトのようなケイ酸分の多い溶岩はめったに枕状溶岩とはなりません。ところが,父島では安山岩どころかデイサイトの枕状溶岩まで当たり前のように目にします。これらは小港から中山峠,象鼻崎から野羊山の崖などで見られます。また,天之鼻ではとても見事なデイサイトの枕状溶岩が崖をつくっています。枕の大きさは溶岩の粘性と関係があります。ケイ酸分の多い溶岩ほど粘性が高いので,玄武岩よりも無人岩,さらには安山岩の方がより大きな枕をつくります。さらにデイサイトになると差し渡し10mを超えるような巨大な枕をつくることがあります。

 

金石と金石浜

 父島南西端の南崎のすぐ東にある谷を下ると,灰青色や黄色の粘土が大小のレキがゴロゴロした浜に出ているのが見られます(図9)。辺りには潮の香に混じってプンと鼻をつく硫黄の匂いが漂っています。ここは塊状硫化鉱床といって,海底に噴出した熱水から直接結晶化したいろいろな硫化鉱物が堆積してできたものです。残念なことに金石浜にあるのはその鉱床の地下にあった熱水変質帯で,鉱床本体は削剥されて残っていません。ひょっとすると山側のどこかでボーリングしてみれば鉱床の続きが出てくるかもしれません。谷を挟んで両側の海食崖には枕状溶岩が出ています。谷に向かって右手奥を見ると,枕状溶岩に貫入する厚い岩脈が何枚も海からそそり立っています。このあたりは噴火中心の一つであったので,活発な熱水活動によって鉱床が形成されたのです。

 粘土の中には白色〜透明な石膏や金色に輝く黄鉄鉱の美晶などが入っています。金石とはこの黄鉄鉱のことです。また,粘土の表面に黄色い硫黄の結晶が見られることがあります。黄鉄鉱は鉄の硫化物でおおよそFeS2という化学組成をしており,比重が5と大きいので手にもつとずしりと重い手応えがあります。金と違って硬く,瀬戸物などの素焼きの板にこすり付けると黒緑色の筋がつきます。昔よく山師が金と偽って人をかつぐのに利用したという話しがあります。粘土を掘るよりも波に洗い出された塊を浜で探した方がいいものが見つかるかもしれません。

9.金石浜の熱水変質帯。熱水による変質作用のために,枕状溶岩の地層が外側から黄褐色変色帯〜粘土帯へと変質している。

 

黒砂と大根崎(自衛隊裏)

 自衛隊の敷地を抜けて裏手の海岸に出てみましょう。丁度大根崎の下になります。トーチカの左の崖を見ると下に層状になった砂岩と泥岩が交互に積み重なった地層(砂岩−泥岩互層)が出ています(図10)。その上には拳大くらいの安山岩のレキがいっぱい入ったレキ岩層が重なっています。同じレキ岩のブロックが沢山海岸に落ちています。レキはやや角ばったものが多いので,火山角レキ岩と言います。火山角レキ岩層と砂岩−泥岩互層の境界を見ると,下にある砂岩−泥岩層が乱れて褶曲しています。まだこれらの地層が海底にあったとき,上にのっているレキ岩層が地滑りを起こした跡です。角レキ岩の中にはあまり地層のような構造は見られません。しかし崖のずっと上の方を見上げると,角レキが横に並んで層状になっています。これらの地層は三日月山をつくっている水中土石流の堆積物です。角レキには大きなオージャイトやハイパーシンの結晶が沢山入っています。濃緑色の結晶がオージャイト,濃茶色がハイパーシンです(図11)。

10.大根崎の海岸(自衛隊裏)に露出する三日月山をつくる地層。土石流の堆積物が砂岩−泥岩互層の上をすべったために,地層が乱れている。

 崖に面して左手の砂浜を見ると,黒い砂がところどころ筋をつくっいるのに気づきます。

これが黒砂です。黒砂を手にとってルーペか虫メガネで見ると,先ほどのオージャイトやハイパーシンの結晶がいっぱい入っているのがわかります。少量ですが,カンラン石の結晶も見られます。磁石を近づけてみると吸い付く砂粒があります。砂鉄(磁鉄鉱の細かい結晶)です。黒砂の正体,おわかりになりましたか。

11.大根崎の黒砂。濃緑色のオージャイト(左と上)と濃茶色のハイパーシンの自形柱状結晶(右)。

 

メノウ(瑪瑙)と沸石

 海岸を歩いていると時折白っぽいガラスの塊のような小石を見かけることがあります。手にとって割れた断面を見ると,白と半透明の細かな筋が交互に重なって縞模様をつくっています。メノウです。メノウは岩の割れ目や溶岩の気孔を埋めて熱水から結晶化したものです。父島ではデイサイト,母島では安山岩の溶岩などに伴って白い脈となって現れたりします。メノウができている所ではデイサイトが変質して青味を帯びていることが多いので,遠目にも見当がつきます。多くの場合乳白色のメノウですが,稀に色づいているものもあります。

 無人岩や安山岩の枕状溶岩の気泡を半透明の板状や放射状の白色の結晶が埋めていることがあります。多くの場合,沸石という鉱物の仲間です。沸石の結晶中には水が含まれていて,強く加熱すると沸騰することから名付けられました。小笠原でよく見かけるのは束沸石や輝沸石などです。また,飯盛山をつくる溶岩ドームの割れ目には偏菱24面体のドーム型をした方沸石のきれいな自形結晶を見ることができます。

 

長崎とループトンネル

 ループトンネルを抜けて上にあがると道路脇に枕状溶岩の説明板があります。両脇を見るとへんてこな形をした溶岩が壁いっぱいに飛び散っているように見えるのがあります。また部分的にはきれいな枕状溶岩になっているところがあります。海側や道路の下の崖にも枕状溶岩が見えます。こちらの方が立体的な形がよくわかります。これらの溶岩はいずれも単斜エンスタタイトと古銅輝石を含んだ安山岩です。ループトンネルを下って長崎展望台に上がって見ましょう。向こうに兄島最高峰の見返山の頂が見とおせます。見下ろすと兄島瀬戸に突き出した岬が足元と右手にあります。右手の岬が長崎です。長崎には二つ三つオレンジ色を帯びた岩稜が空に向かってそそり立っています(図12)。これらは石英を含んだ流紋岩の岩脈です。一般に岩脈はマグマの粘性が高いほど厚くなります。流紋岩岩脈は無人岩やデイサイトに比べるとかなり厚く,50 mを越えるものもあります。

12.長崎の石英流紋岩の岩脈(矢印)。

 

13.東島と石浦の間にある岩脈群。白波の立つ岩礁は全て岩脈

 

夜明山展望台と初寝山山頂

 夜明山の展望台から海の方を眺めてみましょう。初寝浦の白い砂浜から石浦にかけて続く小山が3つほど連なり,それぞれから海に向けて岩礁が突き出ています。無人岩やデイサイトの硬い岩脈が浸食に抗して山や岩礁となったものです。初寝山から石浦とその先の東島を見ると,白く泡立つ岩礁がみんなそろって同じ方向を向いているのがわかります。ローソク岩もそのうちのひとつです。これらの岩脈は父島海底火山の噴火中心の地下にあった平行岩脈群です(図13)。

 初寝山に登って北の方に目をやると,初寝浦や北初寝へ降りていく尾根が岩肌を見せています。目を懲らして見ると,突出した硬い地層と凹んだ柔らかい地層が交互に積み重なってつくる帯が海側から山側へ向かって傾斜している様子がわかります。枕状溶岩とレキ岩層が互層した海底火山の内部構造が見えているのです。レキ岩層は主に無人岩の岩片でできています。よく発泡した枕状溶岩の破片や小さな火山弾のような岩塊を含むこともあります。爆発的な噴火があったことを示す証拠です。

 

ジョンビーチと南島

 南島と南崎に見られる石灰岩は漸新世から中新世という時代に石灰質の殻をもつ有孔虫やサンゴ藻などの生物が集まって生じたリーフです。下半分はそれらの生物の欠片が堆積したものです。泥っぽい細粒の部分には固着性や大型の有孔虫化石も見られます。一方,上半分はサンゴ藻や大型有孔虫などの生物の遺骸が積み重なってできています。細粒の堆積物を欠くことや,生物片の積み重なった産状から海底のチャンネルや周囲から少し高くなった浅瀬であったと考えられています。ジョンビーチのわきにある石灰岩の壁を見ると,赤茶けた帯が縦横に走っています。中には大小さまざまな角張った石灰岩のレキが見られますが,硬く石化しています。リーフが波浪などで崩れて割れ目に落ち込んだ欠片が固まったもので,リーフ角レキ岩と言います。

 石灰質の殻をもった生物が積もると,石灰分が海水と反応する過程で固定され,その場で石化していきます。そうやって生じた石灰岩が陸化すると,地表の風雨にさらされている間に風化浸食が進みます。特に二酸化炭素が溶け込んだ地下水は石灰岩をつくる炭酸塩鉱物を溶かします。南島を上空から見下ろすと,陰陽池や鮫池のような丸い入り江や窪地が沢山見られます。これは浸食と溶喰によってできた漏斗のような形をした窪地で,中心部は地下水の通り道となった空洞に続く穴が開いていたりします。これらの丸い窪地のことをドリーネ,いくつかのドリーネが合体して大きくなったものをウバーレと呼んでいます。ドリーネやウバーレの間はするどく尖ったやせ尾根になります。やせ尾根はラピエ(カレン)です。和名では墓石地形という言葉があります。石灰岩などに見られるこのような地形をカルスト地形と呼んでいます。南島と南崎の間の海には尖ったラピエがいくつもの岩礁となって突き出ています。岩礁をたどってみると,海底に沈んだドリーネを縁取るように弧を描いているのがわかります。かつて隆起していた石灰岩の台地が水没した結果,南島の沈水カルスト地形となったのです。

 南崎から南島にかけて砂丘の中からヒロベソカタマイマイやオオヒシカタマイマイというカタツムリの化石が出てきます。殻の装飾がはげて白くなった殻をごらんになった覚えがおありかと思います。かつてはこれらは更新世という200万年よりも古い時代の化石と考えられていましたが,炭素年代の測定の結果今からおよそ1,000-2,000年前のものとわかりました。このカタツムリの仲間は今でも父島や兄島,母島などに棲息し,独自の進化をとげた小笠原固有種となっています。また,砂丘下の古土壌や裂か堆積物から見つかるニュウドウカタマイマイは,直径8 cmにもなる日本最大のカタツムリで,約2万年前からおよそ1万年前まで生息していた更新世の化石種です。

ジョンビーチの浜辺の波打ち際で灰白色の一枚岩が海に向かってゆるく傾いているのにお気づきでしょうか。ビーチロックといって,今まさに浜辺でできつつある石灰岩です。よく見るとその辺に転がっているのと同じ石ころが白い砂粒で固められているのがわかります。熱帯の砂浜でよく見られる風景です。

 

兄島筋岩岬

 船に乗る方ならよくご存じですが,岩壁に無数の筋模様が入っています(図14)。この筋一本一本が全て岩脈です。実際は板状になっていますから,一本ではなく一枚と数えます。ここの岩脈は父島の東海岸のものに比べるとずいぶんと寝ています。地質学者は岩脈の傾斜を測るとき,水平からの角度を見ます。板が水平に横倒しになっていたら0度,垂直に立っていたら90度です。筋岩をよく見ると,急傾斜した岩脈が傾斜のゆるい岩脈を切っています。つまり後から貫入した岩脈ほど急傾斜しています。このことから徐々に傾動しつつある地層に時折岩脈が垂直に近い高角度で貫入しため,先に貫入した岩脈ほど水平に寝てしまった,ということがわかります。岩脈の貫入という火山活動と,地層の傾動という地殻変動の関係を読みとることができるのです。

14.兄島の筋岩岬。多くの岩脈が筋をつくる