47. 海野 進,2004. 富士山溶岩流の特性.溶岩流国際シンポジウム2004 「溶岩流の制御と防災」,山梨県環境科学研究所,富士吉田

 新富士火山の活動は、もっぱら山頂火口から噴火する時期と主に山腹の側火口から噴火する時期を交互に繰り返してきた。これらのうち溶岩流出が活発であったのは、山頂および山腹から大量の溶岩(39 km3)を流し出した11,000-8,000年前、山頂および側火口からテフラと溶岩を噴出した4,500-3,200年前、および側火口からストロンボリないし準プリニー式噴火と溶岩流出を繰り返した2,200 年前以降の三期間である。

 特に最初期の11,000-8,000年前は新富士火山の総噴出量48 km3 (DRE:溶岩相当密度に換算した体積)のうちの81%を噴出し(旧期溶岩)、平均噴出率も13 km3/1000年と新富士火山史上最も高かった。溶岩は主に北北西?南南東の火口列や割れ目火口から流出し、噴出中心は時代とともに南から北へ移動したらしい。この時期の溶岩には流動性に富む大規模なものが知られている。南東麓の三島から御殿場にかけて広く分布する三島溶岩(10,500年前)は、南東斜面の標高2300 m以上から噴出し、黄瀬川にそって27 km流下したパホイホイ溶岩流からな大規模溶岩流で、体積は4km3にも達する。北東斜面から流下した猿橋溶岩(8,500年前)や桂溶岩(8,500-8,000年前)は桂川にそってそれぞれ29-22 km以上流れている。

 一方、中期溶岩の大部分を流出した4,500-3,200年前は、北西および南〜南東斜面に比較的規模の大きな側火山を形成した。0.3 km3 (DRE)のテフラに対し、溶岩流出量は3 km3 に及ぶ。

 2,200年前の湯船第2スコリアを最後に山頂火口からの噴火は途絶え、その後の噴火は山腹の割れ目火口(列)や側火口からの溶岩流出(新期溶岩)と宝永噴火をはじめとする降下テフラの噴火であった。テフラ噴出量は1.3 km3 (DRE)、総溶岩流出量は1.2 km3に達した。とくに延暦以降(西暦800年?)の約200年間には比較的規模の大きな溶岩流の噴火が集中した。とりわけ西暦864-866年の貞観噴火は約1年半の間に0.7-1.2? km3の青木ヶ原溶岩を流出した最大規模の溶岩流噴火であった。

 富士山は急峻な山頂からゆるやかに広がる裾野にかけて美しい弧を描く対照的な山容で知られるが、傾斜の急遷点が2カ所あり、急傾斜の山頂部、中傾斜の山腹、緩傾斜の山麓部に分けられる。急遷点は北側では1300mと2,200-2400m、南側では1500mと2100-2600mにある。北側よりも南側が急で、とくに山頂部南西側では30度を越える。2,200年前以降の溶岩流の多くは山頂部の側火口から噴出し、急斜面を直線的に刻む谷に沿って流下するアア溶岩である。これに対して西山麓に分布する中期溶岩や北西山腹から噴火した青木ヶ原溶岩など、緩傾斜の山腹から山麓にかけて流出した溶岩流は面的に広がり、パホイホイ溶岩またはアア溶岩の表面構造をとる。最近行われたレーザー測量によって表面の微地形が描き出された青木ヶ原溶岩は、両者が入り混じった複雑な様相を呈する。このような産状の違いは溶岩の噴出率と噴火時間、流路の傾斜、溶岩物性(揮発成分の量と種類、メルトの化学組成、斑晶量、噴出温度等で決まる降伏強度や粘性率など)の経時変化によって決まる。火口の位置と溶岩構造の関係は、流路の傾斜が支配的であることを示唆するが、富士山の溶岩の噴出率や物性に関する情報はほとんどなく今後の研究が待たれる。山麓に流下した溶岩では末端が河川や湖水に流れ込み、枕状溶岩、ハイアロクラスタイト、スパイラクルなど高温の溶岩と水の反応によって生じるさまざまな岩相の変化を示す。

Keywords: Fuji Volcano, lava flow, mitigation, Aokigahara Lava, Ken-Marubi Lava

キーワード:富士火山,溶岩流,火山防災,青木ヶ原溶岩,剣丸尾溶岩

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