防災市民講座 

 

第3回 2001年12月9日(日)16:30−18:30

 

有珠山 噴火からのメッセージ 岡田 弘 

(北海道大学大学院理学研究科教授)

 

戸室火山の大崩壊について  石渡 明 

(金沢大学理学部助教授)

 会場: 金沢市観光会館大集会室第2区画

主催: 北陸地震・火山防災研究会会長

        金沢大学工学部教授 北浦勝氏)

 

 [金沢大学理学部地球学教室] [岩石学・火山学グループ] [石渡研究室]

金沢市俵町の崩壊堆積物の露頭写真][堆積物中の木片の年代測定結果] [巨木出土]

 


 

北陸地震・火山防災研究会 防災市民講座テキスト

 

2001年12月9日(日)16:30〜 金沢市観光会館大集会室第2区画

 

 
戸室火山の大崩壊について

 


金沢大学理学部助教授

(地球学科,岩石学・地質学)

 

石渡 明

 


 

戸室火山の大崩壊について

 

金沢大学理学部助教授 石渡 (いしわたりあきら)

 

 日本国内(北方領土を含む)には245座の火山があり,そのうち活火山は86座(世界の活火山の約1割)に達しますが,石川県内の活火山は白山1つだけです.気象庁が定義する活火山とは,「およそ2000年以内に噴火した火山」と「現在噴気活動が活発な火山」のことですが,有史以来噴火の記録がなかった岐阜県の御嶽山(おんたけさん)が1979年に突然大噴火したように,活火山でない普通の火山も,噴火の危険性が全くないとは言えません.そして火山には,噴火による災害だけでなく,火山体崩壊による災害の危険性もあり,これは活動を停止して久しい火山でも起こる可能性があります.

 

金沢市のように都道府県庁がある都市で,その市内に火山(またはその一部)がある場合は少なく,日本は火山国だと言っても,47都道府県の4分の1程度です.市内に活火山の桜島をもつ鹿児島市には及びませんが,金沢市は熊本市と並んで,市街地のすぐ近くに小さな火山がある,珍しい県庁所在地です.金沢市南東部の丘陵地には,戸室山とキゴ山が並んでいて,ハイキング,自然観察,放牧,スキーなどの場として金沢市民に親しまれていますが,これらはいずれも約50万年前に形成された立派な火山なのです.そして金沢大学教育学部の酒寄淳史先生が最近調査したところでは,戸室山の裏側に,さらに数個の火山があるとのことです(本講座第1回).

 

戸室火山は安山岩の溶岩円頂丘(溶岩ドーム)です.戸室山の安山岩は戸室石と呼ばれ,金沢城の石垣や辰巳用水の石管に使われた石材として有名で,井上ひさし氏の「吉里吉里人」の第二章にも出てきます.色は赤と青の2種類があり,それぞれ赤または青(灰色に近い)の生地(石基)に5mm大の白い結晶(斜長石・石英)や1〜2mm大の黒い結晶(輝石・角閃石・黒雲母)が入っている典型的な安山岩で,時々5〜10cm大の閃緑岩質の「捕獲岩」を含んでいます.金沢大学角間キャンパスの入口に置いてある10m大の標石は赤戸室石で,溶岩が流れた構造がよくわかります.しかし,これらの石材は戸室山の本体を切り崩して採掘したものではありません.実は都合のよいことに,戸室山は自分で崩れ,石材として適当な大きさの溶岩の破片を金沢市方面へ押し出してくれたのです.戸室山の形を上から見ると,普通の溶岩ドームのような円形や楕円形でなく,凹面を金沢市方向(西)に向けた三日月型をしています.この三日月型にえぐれた部分が崩壊したのです.この崩壊堆積物は戸室山から西へ3kmの範囲に広がっており,地形的にも明瞭に多数の流山が見られ(ただし全部の小山が流山というわけではない),道路工事現場などでは1m大の赤戸室石や青戸室石が雑然と積み重なった地層として観察できます(添付資料1).

 

この崩壊の発生時期について,金沢大学文学部の守屋以智雄先生は段丘地形と堆積物の関係などから2〜5万年前と推定しましたが,1999年に田崎耕市先生の指導で俵町公民館が俵町の農道工事現場において行った野外観察会で,児童たちが崩壊堆積物に含まれる泥の中から多量の炭化木片を発見しました.私が大阪の会社に依頼してこの木片を炭素14法で年代測定したところ,18,200年前(誤差±200年)という年代値が得られました(添付資料2).木片の中には2m大の樹幹もあり(添付資料3),東北大学の鈴木三男先生によると樹種は「トチノキ」とのことです.

 

この崩壊の規模は,1984年(噴火の5年後)に発生した御嶽山伝上崩壊(死者15名)の半分程度と推定され,1858年の飛越地震で発生し死者140人(二次的な洪水による)を出した立山の鳶山崩壊,1792年雲仙火山の眉山崩壊(「島原大変肥後迷惑」,崩壊の堆積物は6km以上も流れて有明海に入り,大津波を発生して対岸の熊本県で大被害を生じ,死者は計約15,000人に達した),4400年前の白山東斜面の崩壊(大白川岩屑流),年代不詳の福井県大野市経ヶ岳火山の崩壊などに比べると1桁小さいです.ゆるい傾斜の丘陵地にある火山なのに,全堆積の10%以上が一度に崩壊したと考えられ,上記の眉山崩壊と状況がよく似ています.

 

火山の金沢市側が崩れた理由は,火山の基盤となった地形面が金沢市方向(西)に傾斜していることと,溶岩ドームが形成された際,この傾斜の影響でドームの下流側の斜面が急傾斜に作られていたためと考えられます.崩壊後の現在も戸室山の西斜面は非常に急傾斜で,今後更にこの斜面が再崩壊する可能性は否定できません.しかし,キゴ山は規模が小さく,崩壊しても南または南西に流れると予想されるので,金沢市への被害は小さいでしょう.

 

今日のお話の最後に次のことを述べたいと思います.溶岩円頂丘や成層火山は,火山の噴出物が盛り上がってできるので,重力的には非常に不安定であり,噴火,地震,大雨などをきっかけに(または前触れもなく突然に),大崩壊する可能性があります.火山が近くにある市町村では,例え噴火の可能性が全くない火山でも,その崩壊による災害について,被害を予測し,災害に備える必要があります.

 

参考書籍として,今日の話に関連する内容を含む,私たちが今年出版した次の書籍をご紹介します.【1】北陸の自然をたずねて編集委員会編著「北陸の自然をたずねて」築地書館,1800円+税.【2】日本火山学会編「Q&A火山噴火」講談社ブルーバックス,860円+税.【3】石渡明編著「日本地質学会第108年学術大会(2001金沢)見学旅行案内書」金沢大学理学部地球学科,3000円(非売品,実費).また,金沢大学理学部地球学科および私のホームページもご参考になさって下さい.ホームページのアドレスは次の通りです.http://earth.s.kanazawa-u.ac.jp/ および http://kgeopp6.s.kanazawa-u.ac.jp/~ishiwata/

 


 

資料1 (もどる


日本地質学会第108年学術大会(2001.9.22, 金沢大学) 講演要旨p.140(講演番号O-281)

金沢市の戸室火山岩屑流堆積物の特徴とその中の木片の14C年代

石渡 明*・田崎和江*#・田崎耕市#(*金沢大・理・地球,#金沢市俵町ヲ甲16)

Characteristics of the debris avalanche deposit of the Tomuro Volcano, Kanazawa City, and 14C age of a wood piece in the deposit.

Akira ISHIWATARI*, Kazue TAZAKI*# and Koichi TAZAKI# (*Dept. Earth Sci., Fac. Sci., Kanazawa Univ. #Wo-Ko-16, Tawara-machi, Kanazawa City)

 

戸室山は,その南東に隣接するキゴ山とともに,金沢市の東部,金沢大学角間キャンパスの4km南東に位置する安山岩(SiO2=62%)の溶岩ドームで,南へ白山,丸山,毘沙門岳と並ぶ第四紀白山火山列の北端をなす.溶岩のK-Ar年代は戸室山で0.50±0.04,0.61±0.04,0.62±0.12Ma,キゴ山で0.48±0.04,0.43±0.05Maである(清水他1988岡山理大蒜山研報, 14).戸室山とキゴ山を除いて作成した接峰面図を見ると,両火山は医王山から西方へ伸びる尾根状の高まりの上にある(第1図).戸室山の等高線の形は西(金沢市街)へ凹面を向けた三日月型をなし,西側の山腹は急傾斜である(第1図).この特異な山体の形は溶岩ドーム西斜面の崩壊によると考えられ,溶岩ドームの西方には,戸室火山の岩石からなる流山や岩屑流堆積物の露頭が多数確認できる(第1図).これらは第四紀大桑層及び卯辰山層を覆っており,守屋(1996; 金沢大学「健康と安全」3号)は段丘と岩屑流堆積物との関係から,崩壊の時期を2〜5万年前と推定した.

 

戸室山溶岩ドームの底面の大きさは南北約1.5km,東西約1kmで,基盤高度は東側で約400m,西側で約300mであり,西側へ約6度傾く斜面上にあり,崩壊した部分はドーム底面の最大傾斜方向に当たる.戸室山溶岩ドームは底面積1.25km2,基盤からの高さ200mで,体積は0.111km3と推定される(キゴ山はその約半分).戸室山の三日月型の山体について,南北の尾根の同じ高さの地点を直線で結んだ形が本来のものと仮定して,崩壊によって失われた凹部の体積を計測すると0.016km3となる.北陸周辺の火山体崩壊の例には,1984年の御岳南斜面の伝上崩壊(0.036km3; 守屋1985月刊地球73, 369-),4400年前の白山東斜面の大白川岩屑流(0.13km3;山崎他1987火山32,123-;守屋他2001本学会見学旅行案内書),経ヶ岳火山南斜面の岩屑流(年代不詳),そして火山体ではないが,1858年飛越地震による立山カルデラ大鳶・小鳶山崩壊(0.41km3;富山県地質図説明書1992)などがある.戸室山の崩壊はこれらより小規模だが,緩傾斜の丘陵上の比較的なだらかな溶岩ドームなのに,全体積の10%以上が崩壊した点で特異である.

 金沢市俵町南側の露頭第2図では,流山の断面が農道開削工事によって露出し,1999年8月の第3著者指導による公民館の地層観察会で,参加児童らが多数の木片を発見した.この露頭の岩屑流堆積物(最大層厚20m程度)は,中新世医王山層の流紋岩円礫に富む砂礫層(露頭中央と北西端)を覆い,同様の砂礫層に覆われる(同南東部).岩屑流堆積物は上下2層に分かれ,上の赤色層は径1m程度までの「赤戸室石」を含む淘汰の悪い角礫岩だが,下の青灰色層は「青戸室石」よりなり,火山岩の角礫と基質の硬度が同程度なので遠目には角礫岩に見えない.露頭南東部の赤色岩屑流堆積物中の窪みを埋めたように見える非常に乱れた赤色泥層中には,大小多数の炭化した木片が含まれ,最大のものは長さ1.8m,径0.9mの樹根から樹幹にかけての部分であった.年代測定した試料は長さ30cm,幅10cm程度の木片で,ジオクロノロジー・ジャパン鰍ノ依頼して液体シンチレーション法で測定した結果,Libbyの14C半減期5,568年を用いた1950年までの経過年は18,200±200年であった(最新値5,730年を用いると18,700±200年).この年代は最終氷期を示すが,東北大学理学部附属植物園の鈴木三男氏に年代測定した木片の樹種を鑑定していただいたところ,「氷期なので亜寒帯生の針葉樹かと思ったが、案に相違して温帯生のトチノキだった.サンプルは収縮変改が激しく、またトチノキ自体が年輪の識別が大変困難な樹種なので、年輪解析には向かない」とのことである.樹種はともかく,この木片は岩屑流堆積直後にその窪みを埋めた赤色泥層中に産するので,18,200年という年代は戸室山崩壊の年代を示すと考えられ,従来の地形学的推定(2-5万年)とも大きな矛盾はないが,崩壊の原因は依然不明である.

 

資料1の第1図 (もどる

資料1の第2図 (もどる

 

資料2 (もどる

 

北國新聞2000年1月8日朝刊33ページ(地方社会面)記事

 

資料3 もどる

 

北陸中日新聞2000年4月20日朝刊記事

 

 


 

2001年12月22日作成,2001年12月22日更新

 

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